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原子力発電所の中央管制室の職員たちは、ディンゴによって破壊された安全制御システムの代わりに手動で第一原子炉の運転をしていた。イザの要求どおり、冷却水による冷却を通常以下のレベルに抑えることで、核融合によって発せられる熱と冷却のバランスが崩れて、原子炉内の温度は通常温度を超えた。そして、じわじわと上がり続ける。
その炉内温度上昇のデータは当然、この原子力発電所を管轄する親会社にもネットワークを通じて通信されている。
親会社の幹部たちは慌てふためき、すぐさま警察の対策本部へ連絡を入れた。一刻の猶予もないことを悟った警察幹部たちは、SATメンバーが現地に到着し次第突入するよう命令を下した。



一方、原子力発電所内。
中央管制室にセイとハルカ、それにディンゴとジャムを残し、イザと圭吾、メイ、リカの四人は外からの侵入防止工作に走っていた。
まず、原子炉というのは、それ自体が要塞のような構造をしている。
理由は、万が一テロなどにより外部から攻撃された時に原子炉を守るため。それから、内部で放射能漏れが起こった際に外部に放射能を出さないため。
噂では、ミサイル攻撃にも耐えうる強度構造をしているという。
この原子力発電所内の防衛システムを完全に手中にしたディンゴは、放射能漏れによる大事故が起こった際に発動される最高レベルの防衛機能を所内全域に発動させた。
元々窓などのない原子炉を除いて、タービン建屋及び中央管制室建物棟のあらゆる窓と非常用の出入口を除く全てのドアに、ぶ厚い防放射能シャッターが下りる。さらに、建物内では何重にも強固な防放射能壁が下ろされ、迷路のような構造になっていた。
イザとメイ、リカと圭吾はそれぞれ二組に分かれて、今は唯一外部との接点となっている二つの非常用出入口にやってくる。
そして、非常用出入口の外、半径10メートルにわたって、レーザー感知式の地雷をばら撒いた。ドアにも、外部から接触があれば爆破を起こすトラップを仕掛ける。
さらに、見張り役として、それぞれの非常用出入口にメイとリカが銃を持って待機する。
「よし。っと。これで、少しは時間稼ぎになるだろ」
作業を終えたイザは、もう一方の非常用出入口に行っていた圭吾に携帯で連絡を取ると、先ほど建物内を巡回してた際に見つけた、最期の懸案場所へと足を向かわせた。



同時刻。
木更津原子力発電所から500mほど離れた閑静な住宅街の間を、ゆっくりと一台のミニバンが走っていた。そのミニバンには、ディンゴの長兄サカキと、次兄のシン、それに末妹のエリーが同乗している。
原子力発電所の周りは周囲100mほど何もない雑草地が続き、さらにその向こうには一般の住宅街が広がっている。
その雑草地に発電所内から避難してきた職員たちが、心細げに発電所の方を伺いながら警察の到着を待つ姿が遠目に見えた。
しかし、発電所内の大事件も、まだ周辺の住民にすら何ら知らされていないらしく、町は普段の平日の午後と何ら変わりなく、ゆったりと平凡な時間の中にいるようだった。
サカキは、道路の片隅にミニバンを止めると、シンと共に車を降りる。そして、道路の端に設けられていた一つのマンホールに歩いて近づいた。
「あった。これだこれだ。間違いない…」
手にしていた紙に書かれたマンホールの形状。それと、道路のものとを見比べて、自分が探していたものだと確信したサカキ。サカキが顎で後ろに控えていたシンに指示をすると、シンは手に持っていたバールをマンホールの取っ掛かりに引っ掛けると力を込めて引き上げる。あっさりと、音もなくマンホールは開き、地面にぽっかりと開いた穴が目下に姿を現した。それは、人一人がようやく通れるほどの穴で、サカキがハンドライトで中を照らすと下へと続く梯子が見えた。
「よし。通れそうだな。シン、先に行け」
言われて、シンは無言で頷くとするすると梯子を降りて穴の中へと姿を消した。
サカキは、ミニバンに乗るエリーに合図を送る。
「それじゃあ、打ち合わせどおり、頼むな」
ミニバンの後部座席に座っていたエリーは、小さく頷くと車を降りてマンホールの方へとおぼつかない足取りで歩いていく。
サカキもマンホールの中の梯子を降り、途中で。
「じゃあな。行ってくる」
と、明るくエリーに手を振る。サカキの言葉にエリーはもう一度小さく頷くと、小走りでミニバンへと戻っていった。そして今度は運転席に座ると、エンジンをかけ、そろそろとゆっくりミニバンを動かす。もちろん、盲目のエリーにはフロントガラスの向こうの景色など見えてはいない。けれど、感覚的にどの方向にどの程度車が動いているのかは把握できた。ちょうどマンホールの上に車がくると、ブレーキを踏んでサイドブレーキをかける。
そして、ハンドルの上で両手を組んで、静かに祈りを捧げた。
兄たちが、イザたちが、無事で帰って来れますように。
お母さんや、消えていった人たちが、無事戻って来れますように、と。



マンホール下。
梯子を降りたシンとサカキは、その下に伸びる長い管の中にいた。管の直径は、2メートル弱。180近い背丈のサカキでも、管の真ん中に立てばかろうじて頭が天井につかない程度の広さがある。
ここは、木更津原子力発電所から伸びた、地中送電線の管内。傍らには何本もの太い送電線が横たわっていた。
その送電線の束を避けるようにしながら、管の奥へとシンはハンドライトを向ける。
「あっちが、発電所だな。じゃあ、ちょっくらアイツらを迎えに行ってくる」
シンの言葉に、サカキは頷くと、シンが向かおうとしているのとは反対の方向を指差して。
「俺は、もう少しあっちに行ったところで待機してる」
この地中送電線を退路として確保することが、サカキとシンの役割だった。ここを確保できなければ、イザたちは唯一の退路を失ってしまうことになる。責任は重大だった。
「わかった。それじゃあ」
幸運を祈る、と一言残して、シンは送電線に足をとられないよう慎重に管内を発電所の方へと歩いていった。シンのハンドライトの明かりが小さくなるまで見守った後、サカキは片腕をぐるぐると回しながら。
「さてと。俺も、ひと働きしなきゃな」
独り言を呟くと、シンとは反対の方向に向かって歩き出した。歩きながら、腰に下げていた暗視スコープを頭に引っ掛ける。視界は良好とはいえないが、歩くのに支障がない程度には前方を見通すことができた。



中央管制室。
いま、この部屋に残っているのは、ディンゴとハルカ、それにセイとジャムの四人だった。
イザたちに代わって職員たちを銃で威嚇する役割を務めていたのは、ハルカとセイだ。
もちろん二人とも、銃なんてものを人に向けたのはこれが初めてだった。事前にイザに、簡単な銃の扱い方を習ってはいたが、それでも、この引き金を引くだけで人を殺傷することができると思うと、銃のグリップを握る手が震える。看護師として人の生死に向き合うことの多いハルカですらそうなのだから、セイの緊張はもっと高まっていただろう。注意深く職員たちに視線を向けるハルカの目の端で、セイは何度も銃を持つ手を持ち替えてはズボンに手を擦り付けるようにして拭いていた。
ジャムは、こんな事態にも平然とした様子で、部屋の片隅でリュックから取り出した絵本を静かに見ている。さすがイザの子だなぁ、度胸が座ってるわ…とハルカは内心妙な感心を抱いたりしていたが、単に幼すぎて事態の深刻さがわかっておらず、父親であるイザの言いつけを守って静かにしているだけなのかもしれない。
一方、ディンゴは、職員たちの傍らで、今も忙しく自分のパソコンを動かしていた。職員たちがこちらの要望どおり原子炉を動かしているかどうかを監視しつつ、中央とのコンタクトを計るために、ホットラインへの不法アクセスを試みていたのだ。
ホットライン……ユージが教えてくれた、首相官邸とアメリカのホワイトハウスを結ぶ古い回線のことだ。冷戦時代、有事が起こった際にすぐに日本とアメリカのトップ同士が連絡を取り合えるようにと設置された直通の回線だった。冷戦が終わってから数十年。いまとなっては無用の長物でしかないものだが、それでも外交上に設置されたものは余程の理由がないと無くすことが難しいとのことで、今も回線自体は生きていた。それをジャックして、首相官邸に直接会話を持ちかけるのが彼らの目的だが、なにぶんあまりに古い回線であったため、その検索とアクセスに予想以上の時間がかかっていた。
「……っ、だめだ。こっちじゃない。別の方法で……」
忙しげにキーボードを叩くディンゴにも、焦りの色が見える。
しかし、管制室内は表面上はある一定の秩序が保たれていた。状況に、職員たち、ハルカたち双方が慣れてきたせいもあったのだろう。疲れもあったかもしれない。職員たちに銃を向けるハルカとセイの注意力にしだいに緩みが生じてきていた。
その瞬間を見逃さず。
1人の職員が持ち場から離れて、近くにいたハルカに飛びついた。
「きゃ、きゃああ!」
勢いでハルカが倒れる。銃を取られたらマズい! とっさにそう思ったハルカは、銃を胸に抱きしめるように抱きかかえた。職員の男は、力づくでハルカの腕を開いて銃を奪おうとする。
ディンゴが助けに向かおうと立ち上がった、その時。
一発の銃声が、管制室に響き渡った。
全員の視線が、その銃声の先に向けられる。
銃を放ったのは、セイだった。
ハルカと揉み合いになっていた職員の男は、顔面を蒼白にして苦しそうに横腹を手で押さえた。しかし、すぐにその手の下から真っ赤な血が滲んで大きな染みとなる。
それを見て、ディンゴは悔しそうに舌打ちをする。何があっても、職員は傷つけない。それが事前の打ち合わせで決めたことだったはずなのだ。
「う、うううううわあああああああああああああ!」
悲鳴を上げたのは、撃った本人であるセイだった。
ハルカを助けようと思うあまり衝動的に撃ってしまったのか。それとも、ハルカが襲われた時点で既にパニックになっていたのか。
セイが正常を逸しているのは、明らかだった。緊張の糸がぷっつり切れて完全に恐慌をきたしている。
(やばい、このままじゃ、何をしだすかわからない)
念のために用意してあった鎮静剤を打つべきか…そう迷っていたディンゴ。だがそれよりも、先に動いたのはハルカだった。
ハルカは、負傷した職員をそっと床に寝かせると、まだ訳のわからない叫び声を上げ続けているセイにつかつかと歩み寄り、いきなり胸倉を掴んで力いっぱいの平手打ちを食らわせた。
「…………え」
何をされたのかもわからず、痛みで呆然とハルカを見つめるセイに、ハルカは声を張り上げる。
「馬鹿! 何やってんのよ、あんたは! 怪我させないって、約束だったでしょ!」
「で、でも………」
ハルカの勢いに押されて、たじたじと言い淀むセイ。
「でも、でも何でもないわよ! ったく。……仕方ないわね、私があの人の治療をするから」
「え………」
あの人とは、もちろんセイに撃たれた職員のことだ。床の上に寝かされた男の体からは、赤い鮮血が流れ続けている。失血の量だけ見ても、命の危険が迫っていることが、誰の目にも明らかだった。
「誰も、死なせたりなんかしない。失敗させたりなんかしない。ここまで来て、諦めたくないじゃない! 私はこれから、あの人の治療に専念するわ。だから。セイ。あなたが、これからの中央との交渉を、やりなさい」
本来の計画では、中央との交渉はハルカの役割だった。セイは単なる威嚇要員にすぎなかったのだ。
「で、で、で、できるわけ、……できるわけないっ!」
泣きそうな顔で、セイはハルカに言い募る。長年引きこもりをしていた自分が、そんな大役なんてできるわけがない。引きこもりを始めたきっかけは、もうとっくに忘れてしまった。でも、人付き合いが極端に苦手で、口下手だったこと、それを周りの人たちにからかわれたり苛められたりしたこと。そんな嫌な思いが積もり積もったあげく、いつしか自室から出られなくなっていったのだ。
この神隠し事件に関わってから、イザたちに呼び出されて何度もテマに来ることになった。ハルカやイザたちとは、もう会話するのにそれほど勇気はいらなくなっていた。でも、いまだに初対面の人と話すことは、大変な勇気を必要とする。
まして、この国で一番偉い人と交渉して、しかもこちら側の要求を相手に飲ませなければならないなんて。この交渉の行方に、神隠し事件解決の全てがかかっていた。イザやハルカたちが命がけでやっているこのジャック事件の成功がかかっていた。
そんな大役……僕になんかできるはずがない!
「無理だ……無理だ……」
呆然と、何度もそう繰り返して呟くセイ。
ハルカは、ポンと一度セイの肩を叩くと。
「お願い。あなたしかいないの。できる人は」
それだけを伝えると、倒れている男の元へと駆けていき、持ってきていた応急セットを床に広げて治療を開始した。
「…申し訳ありません。この人の命は、全力で助けます。なので、皆さん、作業に戻ってください」
落ちていたハルカの銃を拾い上げて構えると、ディンゴは職員たちにそう告げる。職員たちは心配そうな視線を倒れた男とハルカに向けながらも、再び原子炉を動かす作業へと戻った。
一人ぽつりと残されたセイは、床の一点を見つめたまま頭を抱え、同じ言葉が何度も口から漏れ出す。
「できない、できない、できない、できるわけない、そんなこと………」
「…………がん、ばれ」
小さくあどけない声に、セイは視線を向けた。見ると、傍らにいつの間にかジャムがしゃがみこんでいて、心配そうにセイを見上げていた。
セイは、幼いジャムを縋るような目で見つめ、尚も力なく言うのだった。
「できるわけないよ………」
そんなセイの耳に、銃を職員たちに向けたまま片手で作業をしていたディンゴの声が届く。
「繋がった……。やっと、ホットラインに侵入成功。ただ今、呼び出し中っ」
コール音が、室内スピーカーからも聞こえる。永遠とも思えるほど長い間呼び出しコールが鳴り続けたあと。がちゃりという音とともに、中年とおぼしき男性の声が響いた。
『はい。こちら、首相官邸秘書室』

 

 

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