―16―


木更津原子力発電所。
東京湾に面する海岸に立てられたこの原子力発電所は約3000MWの電力を都心に供給する発電所で、建物中央に中央管制室、その両側にそれぞれ一つずつの原子炉を持つ。
この発電所の通用門に、一台の白いバンが近づいてきた。
通用門の警備員は、バンから降りてきた作業着姿の男の身分証を確認する。
「こんちはー。大川興業です。空調の定期点検に来ました」
愛想よく笑う作業着姿の男…圭吾の顔をちらりと見て、警備員は気だるそうに今日の訪問予定者リストを繰る。そのリストを指でなぞり、大川興業という文字のところで止めると、顎を上げる。
「どうぞ。通ってください」
「ありがとう」
にこりともう一度笑みを残すと、圭吾はバンに乗り込んだ。
バンの中には、同じ作業着に身を包んだ、イザとディンゴ、ディンゴの姉のリカとメイが乗っている。バンの後方には、作業用のシートの下に身を隠したセイとハルカ、それにジャムが潜り込んでいた。
圭吾はバンを、通用門から発電所の敷地内へと走らせる。
この計画より数日前。ディンゴは、この原子力発電所を管轄する親会社の内部ネットワークに不正アクセスし、この発電所が数ヶ月に一度空調の点検をすること、そしてその点検に関する所内の決裁文書を手に入れた。その文書を今日の日に点検を行うという風に書き換え、所内内部の決済システムに流したのだ。それによって、今日点検が入るということは、所内の予定の一部として予め組み込まれていたことになる。
バンは、特に誰からの制止も受けることなく、あっさりと中央建物の裏にたどりついた。
この位置からでも、建物の両側にそびえる原子炉を備えた原子炉建屋とその後方に伸びたタービン建屋がよく見えた。
敷地の中に入ってしまえば、内部の警備はさほど厳重ではない。
中央建物の裏口には警備員の姿すらなく、イザたちは難無く建物の内部へと足を踏み入れた。ジャムはハルカに手を繋がれて、神妙な面持ちでついてきた。
「さてと。こっから、どうするか」
イザたちの頭の中には、ディンゴが収集してきたこの発電所の内部地図が叩き込んである。
「中央管制室は、こっちやな」
通路を進むと、正面に見える両開きの金属製の扉上部に、中央管制室という文字が見える。地図の位置関係とも符合する。ここが、目的地だ。
まず、イザが扉に軽くノックをした。すると、ほどなくしてカチャリとノブが回される音がして中から扉が開いた。出てきた白髪の男が部屋の外にいるイザたちの姿を確認するよりも早く、イザが手に持っていたスプレーでその男の両目にめがけて中身を吹き付ける。
「……っ、うわっ…」
目に異物感を感じて男が怯んだ隙に、今度は圭吾が部屋の中に別の缶を投げ込む。缶は床に当たると、弾みながらガスを噴出した。ガスを目視して、すぐに圭吾はドアを閉める。誰も逃げ出せないようにドアに寄りかかるようにして背中で押さえると、作業着の袖をまくって腕時計を見た。
「30秒……………1分……………と、1分半経過」
扉の向こうからは、人のうめき声が聞こえていたが、それも今はもう止んでいた。
「よし、2分。もう大丈夫やろ」
にこりと笑むと、イザと圭吾とで扉をいっきに開け放つ。廊下に流れ出してきたガスを吸い込まないように、他の面々は扉から少し離れて、成り行きを見守った。
ガスが十分に外に出たのを確認して、イザたちは中央管制室に急いで入る。リカが、廊下側の見張りとして外に立ち、他の全員が中に入った。
中央管制室の中には、5人ほどの職員がいたが、今は全員が床や椅子の上に倒れ伏している。全員が気を失っていた。
それほど強いガスではない。ほんの数分、気を失わせる程度の。だから、素早く作業しなければならない。
ジャムは部屋の隅っこで、持ってきたお気に入りの縫いぐるみをぎゅっと抱きしめると、大人たちの行動を黙って見守っていた。
ハルカたちは皆、さきほどイザがもっていたものと同じスプレーを手に持ち、手分けして倒れこんでいる職員一人ひとりの瞼を指で開けて、その双眸にスプレーの中身を吹き付ける。
職員全員にその作業が終わった頃、ようやく気を失っていた職員たちがうめき声を漏らしながら体を起こし始めた。
「ちょ、ちょっと待って……」
床に直にパソコンを置いて何やら忙しげにキーボードを叩いていたディンゴは、最後のキーを押して、にこっと笑む。
「よし、完了!」
ディンゴの言葉と、職員の一人が顔を上げ、侵入者である彼らを見たのと、ほぼ同時だった。
「う………」
顔を上げた男は、自分の視界に違和感を覚えて、うめきをあげる。
それもそのはず。彼らの目には、侵入者の顔が動物の顔に見えていたからだ。子供がお遊戯につかうお面でもつけているかのように。
さきほど吹き付けたスプレーは言わばディスプレイの役割をするもので、彼らの目にはイザたち侵入者の顔を見るとその都度自動的に、その顔に重なるように動物のイラストが映し出され、本当のイザたちの顔が見えないようになっていた。
これも、侵入者の顔を覚えられないようにする工夫の一つだった。
ちなみに、ジャムの姿には大きな熊の姿が被さって見えているため、ジャムが声を出さない限り彼らはそこに年端もいかない子供がいるとは思わないだろう。
「さて、と」
イザの言葉を合図に、イザと圭吾、それにメイが流れるような仕草で職員らに銃を向ける。
「今から、この発電所をジャックする。ここからは俺たちの指示に従ってほしい」
視界の違和感から頭を降ったり目を擦ったりしていた職員たちは、イザの一言で、動きを凍りつかせた。
「……ジャック、だって……?」
一番年配に見える白髪の男が呻いた。その顔には、信じられないものを見るような驚愕が浮かんでいる。他の職員たちは、概ねその白髪の男よりも若そうだ。年齢構成から言って、この白髪の男が、この管制室を統制する立場の人間だろうとイザは当りをつける。
「俺たちの指示に従ってくれる限り、これ以上の暴力は振るわないと約束します。従わないのならば、容赦はしない」
銃を向けたまま淀みなく告げるイザの言葉に、白髪の男は噛み付かんばかりに叫んだ。
「お前らは、何をやってるのかわかってるのか! こんな馬鹿げたこと……すぐに警察が来てお前らを全員しょっぴいて行ってくれるわ!」
「警察には、来てもらわないと困る。目立たないと意味がないんでね」
イザの言葉と同時に、圭吾がその背後にあった赤くペイントされた非常ボタンをアクリル板ごと叩き割る。それと同時に、館内にけたたましいサイレンが鳴り出した。
「これ、警察と消防にも自動通報するようになっとるんやろ?」
圭吾の問いに、白髪の男は苦渋に満ちた表情で僅かに頷いた。
「でも、まだこれじゃ足りないんだ。館内には、まだ沢山、人が残ってるでしょ。非常ベルの音を聞いて建物の外に避難したかもしれないけど、ここの敷地に残っていられると面倒だしね」
ディンゴは、管制室の中央制御盤の上に自分のノートパソコンを置くと、中央制御盤のマイクを近づけた。
「えーと。これで、いいのかな…」
制御盤のパネルをいくつか操作すると、マイクが音を拾い、この原子力発電所各所に置かれたスピーカーから流す準備が整う。それから、ディンゴは近くにあった電話の受話器をとり110を押すと、相手が出たことを確認して、これもパソコンの近くに置いた。そして、パソコンのキーを叩くと、あらかじめ用意してあった合成音声が流れ始めた。
『我々は、ただいま、木更津原子力発電所を乗っ取った。繰り返す。我々は、ただいま、木更津原子力発電所を乗っ取った。要求は後に伝える。もし、要求の通らない場合には、原子炉をメルトダウンさせる。以上』
声は、マイクと受話器の双方に拾われ、一方はこの発電所の敷地内隅々にまで大音量で響き渡り、もう一方は警察本部の通信司令室に流された。
当然、管制室内の職員たちはざわめき立つ。しかし、管制室の外は、それ以上のパニック状態だった。非常ベルを聞いても表面上は落ち着いて避難しようとしていた人々は、この放送を聞いて、ある者は冷静さを失って悲鳴をあげ、ある者は我先に少しでも遠くへと逃げ出そうとしだした。
もちろん、突然、110番通報で犯行声明を聞かされた警察本部の面々も、一気に色めき立つ。すぐに木更津原子力発電所へと電話をかけ事態の確認をしようとするが、何度コールしても誰も出ることはなかった。それもそのはず、代表番号となっている発電所の庶務課に架けられた電話のコール音は、無人となった室内に空しく響いていただけだったのだから。
営業時間内に電話に誰もでないということは、本来であれば考えられない。それで、警察当局は既に木更津発電所がジャック犯たちに乗っ取られたということを確信する。
事件の現場は千葉県だったが、その重大性・特殊性を鑑み、すぐさま、警視庁内に対策本部がつくられた。警視庁及び千葉県のSATメンバーによる合同チームが作られ、警視総監がその総指揮にあたることになった。
そして、木更津発電所を管轄する電力会社に情報提供を求めるとともに、「武装工作員等共同対処指針」に従って自衛隊にも協力が要請された。ただ、事は急を要するため、自衛隊の到着を待ってもいられない。
対策本部にいる警視総監からの指示のもと、SATメンバーたちは武装して現地へと向かった。



所内の職員たちが一斉に敷地の外へと避難し、いま原子力発電所内に残るのは、この中央管制室にいるイザたちと5人の職員だけだった。
ディンゴは自分のノートパソコンと中央制御盤の両方を操作しながら、なにやら作業を始めた。それを見た職員の一人が、悲鳴のような声を上げる。
「勝手にいじらないでくれっ! もし……」
ディンゴを制止しようと彼の方へ駆け出そうとしていたその職員は、圭吾の銃から発射された弾が足元に弾けたのを見て、怯えたように足を止めた。
「もし……、原子炉の制御が崩れたら……って? それこそ、俺たちの狙いなんだ」
イザは自分の銃を下ろすと、静かに言う。圭吾とメイはまだ職員たちに銃を向けたままだ。職員たちの視線がイザに集中するのを見て、イザは気持ちを落ち着けるように小さく息をはくと、淡々と後を続けた。
「俺たちが、こんなことを言うのは、おかしいのかもしれないけど。俺たちを信用してほしい」
信用という言葉に、白髪の男が鼻で笑う。そしてイザを睨み付けたまま、今にも噛み付きそうな表情でイザたちの出方を伺っていた。
それでもイザは、真っ直ぐ彼らを見たまま、言葉を続けた。
「俺たちは、政府の中央にある要求をしたくて、この原子力発電所をジャックした。それが、相手にこちらの要求を聞かせるのには一番効果的だと思ったからだ。いまから、この発電所の原子炉1号機を、限界まで核融合を進めさせる。メルトダウン直前まで」
イザが話している間にも、ディンゴは一人、黙々と作業を進めている。いまだ、圭吾とメイが職員に油断なく銃口を向けている現在、職員たちは身じろぎ一つせず、イザに注目していた。
「中央には、メルトダウンをさせると告げる。そう見せかける。でも、それはあくまで交渉のためのブラフにすぎない。実際には、原子炉の内部の熱を限界まで高めるだけ。もし、それまでに交渉が成立しない場合は、俺たちは諦めて退去する。君たちの安全も約束する。だから、協力してほしい」
「メルトダウンさせないといったって……限界まで内部の熱を高める? できるわけないだろう! 原子炉っていうのは、核分裂を繰り返しつつそれを冷却することでギリギリのバランスを保ちながら運転してるんだ。炉内状態は常にコンピュータ制御で一定に保たれている。そのバランスを崩すということが、どれほど危険なことなのか、お前らは判っているのか!? もし、本当にメルトダウンが起こったら…」
職員の叱責に、静かにイザが言葉を続ける。
「メルトダウンが起こったら、原子炉は溶け出し、放射能と水蒸気が漏れ出す。もしそれに引火でもすれば、大爆発の可能性もある。そこまでいかなくとも、放射能が漏れ出せば、ここにいる人間だけでなく首都圏全域が被爆することもありえる」
言葉を荒げていた職員は、イザの言葉に言葉を詰まらせる。
「そ、そこまで知っているなら、なぜ……」
イザは、職員たち全員に視線を向けると、徐に深く頭を下げた。
「無茶なことを言ってる事もわかっています。だから! だからこそ…あなたたちに協力してもらいたい。いや…」
協力したとなれば、後にこの職員たちにまで責任が追求されることになる。
「…俺たちの脅迫のもと、この原子炉を動かしてほしい。お願いします」
ジャック犯に、突然頭を下げられるとは思っていなかったのだろう。職員たちは、困惑したように互いの目を合わせた。
ここで、空気が変わった、と圭吾は感じる。恐怖と反発ばかりがあった職員たちの顔色に、少しずつこちらへの理解の兆しが現れ始めている。完全に、場の空気をイザが手中にしていた。
(適わへんな…ほんま)
人を動かすことにかけては、イザはほとんど本能的ともいえるほど長けている。
昔から間近で何度も見せ付けられてきた。そして、そのたび激しい嫉妬が圭吾の胸に渦巻くのだった。御堂会を将来担っていかなければならない自分には、何より必要な力なのに、いまだにイザに遠く及ばない自分を情けなくすら思う。しかし、そんな感情を圭吾はまったく表には出さない。イザは気づいてすらいないだろう。
「もし……我々がお前たちの要求に従わなかったら、どうする」
白髪の男が、挑戦的な口調で問いかける。イザは、顔を上げると、僅かに表情を歪める。
「そのときは……最悪、皆さんをここで射殺して、俺たちで原子炉を動かします」
職員たちは、息を呑んだ。
その結果行き着くのは、おそらく最悪の事態しかない。そのことが、職員たちにも判ったのだろう。
このイザの言葉は、嘘だった。事前の打ち合わせでは、職員たちの協力が得られなければ、イザたちは原子炉ジャックを諦めて逃げ出す手はずになっていた。
職員たちが協力してくれるかどうか……それが、このジャックが成功するかどうかの鍵だった。
しばしの、張り詰めたような沈黙。
その沈黙を破ったのは、黙々と作業を続けていたディンゴだった。
「…やった! 安全制御システム…えっと、原子炉に異常があったとき核分裂連鎖反応を止めるシステムね、それの一部を破壊したよ。これで、核分裂の限界が無くなった」
職員たちの間に、狼狽とざわめきが起こる。彼らはこう思ったに違いない。
このままジャック犯たちが勝手に原子炉を動かし続ければ、核分裂反応は際限なく引き起こされるだろう。その結果待ち構えているのは、メルトダウンか、水蒸気爆発か。
白髪の男の小さなため息をつく。
「ここが大事故を起こすかどうかは…俺たちの判断に委ねられてるってわけか」
そして他の職員たちを見回すと、小さく頷いた。
「俺たちだって死にたくはないし、ここで事故を起こすわけにもいかない。」
そうイザたちに言うと、男は中央制御盤へ向かった。
そして忙しそうにパネルを動かしながら、イザに背を向けたまま。
「………俺たちはお前の言葉を信じるしかない」
原子炉のメルトダウンは、あくまで中央への交渉のためのブラフにすぎない。というイザの言葉を。
「はい」
イザは静かに頷いた。

 

 

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