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イザと圭吾は、雨宮にもう一つ質問を投げてみた。
消えた人間のうち、戻ってきた人間はいるのか?という問いを。
答えは、絶望的なものだった。
「残念ながら。私が知る限りでは、一人もいない」
二人は雨宮に礼をいうと、幾らかの謝礼を渡して、その場を後にする。
「さてと。……大体事情は判ってきたけど。これから、どないする?」
テマへ帰る電車の中で訊かれた圭吾の問いに、イザは。
「……一つ、考えてた計画があるんだ。それを話すよ。明日、皆を呼べるかな」
「サカキたちも?」
「ああ。全員」
「わかった。声をかけておく」
そう返事をすると、圭吾はドア横の手すりに凭れて、流れていく暗い外の景色に視線を戻した。その圭吾の横顔を、イザは眺める。一瞬、会話が途切れて、二人の間に沈黙が漂う。
「なぁ……圭吾」
「ん? なんや?」
イザに話しかけられて、ぼんやり外を眺めていた圭吾が再び視線をイザに向けた。どっからどうみても、普通の大学生にしか見えない圭吾だが。
「お前……実家帰るの?」
イザはずっと気にかかっていたことを、口にする。京都にある圭吾の実家は、『御堂会』というヤクザ組織の総帥を代々出す家系だ。御堂会は広域指定暴力団の一つとされ、現在では国内ナンバー2の構成員を誇るまでの巨大な組織となっている。
「なんで、そんなこと聞くん?」
御堂会総帥の跡取りにされることを嫌って、圭吾は12のときに家出したっきり、ずっとテマで生きてきた。実家とは疎遠になって久しい。
口はしに笑みを浮かべる圭吾に、イザは仏頂面のまま続けた。
「お前の親父さん。もう長くないんだろ?」
圭吾の笑みが、苦笑に変わる。
「……お前、ほんま耳が早いなぁ。そうや。大腸ガンで、余命数ヶ月やて診断されてるらしい。こないだお袋から連絡があった」
「親父さんが亡くなったら。お前が継ぐしかないんだろ?」
圭吾の実父は、現・御堂会総帥。御堂玄吾。
「…そやなぁ」
視線を逸らして、気のない返事。
「大学も辞めんのか?」
「……」
しばしの沈黙のあと、圭吾は、にこにこと笑顔になる。長い付き合いのイザには、わかる。自分を誤魔化すときは、いつも笑うのだ。こいつは。
「まぁ。ワイが、大学でやってることなんて。道楽みたいなもんやから。どうせ、学者になれる可能性なんて、ほとんどない世界やし」
圭吾は小学校を途中で辞め、イザも中学を中退している。二人とも、どことなく学歴へのコンプレックスを持っていた。いや、学業への憧れは圭吾の方がイザよりも遥かに強かったのかもしれない。イザはとっくに諦めてしまっていたが、圭吾は十代後半から通信制の高校に通いだした。そして、勉強というものにブランクがあったため苦労しながらも何とか高校を卒業し、大学に進学した。大学に受かったときの嬉しそうな様子を、イザは今もよく覚えている。それから大学院の修士課程を終えて今年から博士課程に進学し、今に至る。
それを、嫌ってきた実家を継ぐために断念しなければならないことは、悔しくないはずがないのだ。
もっとも。
圭吾が御堂会を継ぐことは、テマにとっても脅威になりかねない。
関東進出を狙う御堂会がテマにだけは今まで、ほとんど手を出してこなかったのは、圭吾がここにいたからだろう、とイザは踏んでいる。
その圭吾が京都に帰ってしまえば、御堂会が本格的にテマに手を出してくることも考えられない話ではない。
なんとなく。今までの、それなりに均衡の保たれていた日常が、崩れそうな危うさをイザは感じていた。
それ以上は互いに会話を交わすこともなく、イザと圭吾は帰路についた。



翌日。
ディンゴの自宅に、ゲンガ兄弟、イザと圭吾、それにセイとハルカが集まっていた。
「……ってわけなんだけどさ」
一通り、雨宮に聞いてきたことを説明したイザは、ソファに座る面々を見渡す。
「いなくなった人たちを取り戻したい。神隠しをやめさせたい。それには、どうしたらいいか。ずっと考えてたんだ。取れそうな方法はいくつか思いついたんだけど」
足元においてあった、一枚の大きな図面を取り上げて、テーブルに広げた。
その図面に片手をついて、にっと笑う。
「一番、インパクトのでかい方法でいこうぜ。どうせなら」
イザが広げた図面。それは、テマのある川崎とは東京湾を挟んで反対側にある地、木更津にある原子力発電所の構造図だった。
昨夜、ディンゴに調べてもらった、都心への電力供給を行っている場所。それが、この木更津原発だったのだ。
「ここをジャックする。そんで、この原子力発電所を人質にして中央へ揺さぶりをかける。どう?」
イザの言う突拍子もない計画に、一同は息を呑んだ。
「そんなこと、できるのか……」
口元に手を当てたままサカキが唸った。
「サカキたちには、別にやってもらいたいことがある。それが、俺たちの生命線になるから。詳しい計画はこれから話すよ。そんで、セイとハルカ」
呼ばれて、二人は、びくっと顔をあげてイザを見た。
「な、なに…? ちょっとまって……まだ、頭が全然ついていってないんだけど」
くらくらと眩暈を感じてコメカミを抑えながらハルカが言う。
「いや……お前らは裏の人間じゃない。普通の一般人だしさ。こっからは、外れてくれてもいいよ。後は俺らでやる。参加するかしないかは、お前らの自由」
イザの言葉に、圭吾が怪訝な目を向ける。じゃあ、なんでここに二人を呼んだんだ。はじめから外すつもりがあるなら、呼ばなきゃよかったじゃないか、と圭吾の目が言っているのを感じて、イザは苦笑を返す。
「だって。今までずっと一緒にやってきたじゃないか。ここから、こいつらを置いて俺らだけで勝手に話を進めるのは……果たして、本当にこいつらのためになるのか?」
そう言われてしまい、圭吾は口ごもる。
「そやけどさ……。いいんかなぁ……参加するとなったら、下手したら、人生棒にふりかねへんで? 俺らはもう失うもんなんてないけど、二人は違うやん。それに……こういう言い方悪いけど、足手まといになりかねへん」
「だから。情報は全て、二人にも流す。参加することになれば、最優先で二人の個人情報と身の安全は守るさ。そのうえで、選ぶのはこいつら自身だ。それに、ハルカたちにだって、できることはあるだろ?」
「ちょ、ちょっとまって。待って!」
ハルカが立ち上がると、両手を広げてイザと圭吾の会話を遮った。
「二人で勝手に話を進めないで」
動揺を抑えるように一つ深呼吸してから、ハルカは二人をきっとにらみ付けた。
「私は、参加するわよ。ここまできて、自分の身が大事だからって、あとはお願い、なんてことしたくない。私は看護婦よ? 怪我人でも出れば、いったい誰が処置するっていうの?」
ハルカの言葉に、イザは、にこっと笑みを返す。そして、今度は、ソファに座って図面を呆然と見つめているセイに言葉を向ける。
「セイ。お前はどうする?」
誰もが、セイは降りるだろう、とそう予想していた。最近は、外に出歩くのも昔ほど躊躇いがなくなったようだが、それでもまだまだ人と話すことすら多大な労力を必要とするセイだ。まして、原子力発電所ジャックなんて……。
けれど、セイは静かに目をあげてイザを見ると。
「……僕、やるよ」
ぽつりと。小さな声だったが、確かにそう応えた。
セイの言葉に、イザはにっこり微笑み、他の面子は驚きを隠せなかった。
「よし、決まりだな。そんじゃ、詳しい計画の内容を話すよ」



作戦決行の前々日。
ハルカは、勤務先の夜勤で夜間診療外来にいた。深夜のこの時間、夜間外来は客でごったがえす。下手すると、昼間の診療室より賑やかなくらいだ。
相手は、急病人のほか、喧嘩でもしたのか痛そうに顔に血のついたタオルを当てている若者などいかにも繁華街らしい客もいる。
目まぐるしい忙しさの中、椅子に座れず廊下に座り込む客も出るなか、一人ひとりから詳しい病状を聞いて回っていたハルカの目に、ふと見慣れた人影が映る。
「あれ? イザじゃない」
壁際に寄りかかっていたイザは、ハルカの声に気づいて口はしに軽く苦笑を浮かべる。
「よぉ。ハルカ」
「どうしたの…? 今日は」
イザを心配したのではない。ハルカが気になったのは、彼が抱いているジャムだった。毛布に包まれ、ぐったりと目を閉じていた。
「それが……保育所で熱が出たんだ。38度。家で休ませてたんだけど、気づいたら体中に発疹まで出ててさ」
「……それは、感染症かもしれないわね。待ってて。今日は患者様が多くて、小児科の先生がヘルプに来ることになったから、それほど待たずに順番回ってくると思うの」
その言葉に、イザはほっと安心した笑顔を浮かべた。
「でも……もしかしたら熱が下がっても、登園許可が下りるまでしばらく保育所には預けられないかも」
「……そうなんだよなぁ」
「……大丈夫なの?」
ハルカが暗に聞いたのは、明後日の作戦のこと。
イザが欠けてしまっては、そもそも作戦自体成り立たなくなってしまう。
「連れてくわけにも行かないし。日も延ばせないし。…なんとか、預かってもらう先を探すよ。サカキんとこは無理だから、タカハシさんとこかなぁ…」
困った苦笑を浮かべるイザ。ハルカは何か言葉をかけようと口を開くが、『手が足りない、急いできてっ』という先輩看護婦の声でその場を直ちに後にせざるをえなかった。



二日後。
待ち合わせ場所に現れた面々。最後にやってきたイザは、案の定、ジャムを連れていた。もう、すっかり熱は下がったようだが、まだ医者から登園許可が貰えないとかで保育所には預かってもらえなかったらしい。
「タカハシさんとこも、今日は無理だったんだ…出張だとかで」
タカハシとは、テマで開業している、イザとは長い付き合いの女性外科医だ。
「エリーも、今日は朝から体調悪くてな。預かれなくて、すまんな」
と、サカキ。
「…いや。だもんで……連れてきちまったんだけど」
イザと一緒に来れて遠足気分なのか、小さなリュックを背に楽しそうに跳ねるジャムを余所目に、イザは、はぁっと疲れたため息を吐いた。
「まぁ。仕方ないだろ。今更。何か問題があれば、イザがフォローすんだろ?」
「……そりゃ、もちろん」
「だったら、うだうだ言ってても仕方ない。とりあえず、行くぞ」
サカキの言葉に、全員が小さく頷いた。

 

 

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