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テマの表通りから一歩通りを入った場所にある細長い5階建ての雑居ビル。
この地域には無数に存在する形態の建物だ。
元々は、小さなスナックやパブが各階に軒を並べていたが、現在はビル脇に取り付けられた看板に一つも灯りは灯っていない。
「こんちはー」
その雑居ビルの3階部分。エレベータで上ると、小さな踊り場があり、その奥に木製の大きなドアがあった。そのドアを、イザは叩く。いや……面倒くさかったのか、足でゴンゴンと蹴っていた。
「……インターホン、ねーんだよ。ここんち」
ハルカに非難がましい目で見られ、苦笑交じりに弁解するイザ。
そのとき、ドアが開いて、ディンゴの明るい髪がドアの隙間からひょっこり顔を出した。
「あ、どうぞー。適当に、あがって。あ、靴は脱がなくていいから」
ドアを一度大きく開くと、部屋の中に戻っていってしまったディンゴに代って、イザが手でドアを押さえ、ハルカとセイに、どうぞと促す。
「ありが、と……げ。何これ」
部屋の中を見た瞬間、ハルカが素っ頓狂な声を上げた。それも当然だろう。
部屋の中は、倒れんばかりに荷物が積み上げられ、足の踏み場もなさそうな状態が扉の外からも見えたからだ。生活雑貨や衣類だけではない。鉄屑やコンクリブロックなど、こんなもの何に使うの?というようなものが室内に大量に山となっていた。
「ああ。気にすんな。仕方ねーんだよ、こいつんちは。占有屋だからさ」
「センユウヤ?」
セイの問いに、イザは頷く。
「そう。競売とかになった建物に、所有者に頼まれて居座って、売れなくさせる奴らのこと。この大量の荷物も、裁判所とか諸々の怖い奴らに簡単に退去させられないようにするためのもんだよ。占有屋のゲンガ一家って言やぁ、この界隈じゃ結構有名なんだぜ」
イザの説明に、セイとハルカは顔を見合わせた。
「……まともな仕事してる人は、いないの。あなたの友達って」
ハルカの言葉に、イザはただ苦笑して、廊下を先に歩いていった。



家の中には、ドアから見えていた以上に、物が所狭しと積み上げられ、うっかりすると雪崩を起こしそうなほどだった。唯一、奥の窓際に設置された応接セットの周りだけが、比較的物が少なく、ここが生活空間になっているようだった。
「よぉ。よく来たな。飯、食ってくんだろ?」
山のような荷物の狭間から突然手が伸びてきて、前を歩いていたイザの頭を撫でた。子供のように撫でられて、イザは憮然としながらその手を払う。
「サカキ。……餓鬼あつかいすんなって、何度言えば……」
「おや? 今日は見かけねー顔もあるな。俺は、サカキ。ディンゴの兄貴だよ。よろしくな」
荷物の間に挟まるように置かれた背の高いスツールに腰かけ、手に持っていた小説を閉じると、ハルカに向かって二コリと最上の笑顔で迎える。
「どこでも営業スマイルばらまいてんじゃねーよ。ハルカ、気をつけろよ? そいつ、やり手のホストだから。取って食われんぞ?」
サカキの笑顔に釣られて笑顔で応えようとしていたハルカの表情が引きつる。
「人聞きの悪い。うちの店じゃ枕営業禁止だって、お前だって知ってるだろーが」
うちの店で一番手が早いのはお前だお前。とかなんとか言いつつ、サカキは腰をあげ。
「何か飲み物でも、作るよ。何がいい?」
「あ、えと……私、コーヒーでいいです」
僕も……と、ハルカの言葉に小声で付け加えるセイ。二人の肩をぽんと叩き、まぁ、座っててよ?と言うとサカキは荷物の山のどこかへと消えて行った。
三人は、応接セットのソファへと腰を下ろす。この応接セットの他にも、よく見るとスツールやカウンターなど、以前スナックとして使われていたであろう頃のものが他の大量の荷物に紛れて見え隠れしていた。窓ガラスは黒く塗りつぶされていたが、今はその窓も開けられ、向かいの、こちらとよく似た雑居ビルが見えていた。
「ディンゴって……ハッカーじゃなかったの? それに、さっきのお兄さんは……ホスト?」
ハルカの問いに、ああ、とイザは答え。
「今は、ね。ディンゴは、6人兄弟の下から二番目なんだ。サカキが一番上。サカキとその下の姉貴は、いまはもう結婚して家を出てるし、何人かは他に仕事を持ってるけど、占有屋の方は……」
まだ、しばらく辞めらんねーだろうな……と、呟くイザの視線の先に、ハルカとセイも目をむけて、思わず腰を浮かしかけるほど驚いた。
人の気配をまったく感じなかった部屋の片隅に、車椅子に座った中年女性がぼんやりと佇んでいたのだ。積み重なった衣服や物に紛れていたうえ、彼女は一点を見つめたままピクリとも動かない。セイははじめ等身大の人形かと内心疑ったほどだった。
イザは立ち上がると車椅子の前へといき、彼女の視線を遮るように膝まづいて、彼女を見上げた。彼女の手に自分の手をそっと重ね。
「お邪魔してます。煩くして、すみません。また、ディンゴ、お借りします」
静かなイザの言葉に、彼女は一度、穏やかに微笑んだ。しかし、すぐに、ぼんやりとした元の表情に戻る。
「ああ、なんだ。ここにいたのか、母さん」
ノートパソコンを持って戻ってきたディンゴは、
「ここは騒がしくなるから、部屋に戻ろう。ちょっと、上の部屋につれていってくるね」
慣れた様子で車椅子を押すと、廊下の両側に詰まれた荷物にぶつかることなく、器用に荷物の間を縫って彼女を連れて行った。
「さっきの方……ディンゴの、お母さん?」
ハルカの言葉にイザは頷く。
「彼女が発病したとき、サカキはまだ中学生で。ディンゴと下の妹は、物心もつかない歳だったらしい。父親は、発病後すぐに家族を棄てて逃げたって言ってたかな? 本来なら、皆、施設に入れられてもおかしくなかったんだが、離れ離れにされることを嫌って……あいつらは自分たちで寄り添って生きて行く道を選んだんだよ。でも、餓鬼だったあいつらに仕事もなくて。生きて行くために選んだ金儲けの手段が、占有屋、だったのさ」
当時、中学生のサカキを筆頭に、子供が6人。病に人格を壊され赤ん坊のようになっていく母親を抱えて、彼らはこの街で逞しく生きてきた。施設に収容しようとする大人たちの手を拒み続け、債権者の代理人として彼らを追い出そうとするヤクザたちと戦ったこともあった。全ては、母親を守るため。母親とともに生きるため。
「だから、あいつらにとって、彼女は……絶対的な存在なのさ」
「詳しい説明、どーもありがと」
いつの間にか傍にいたサカキが、にっこりと笑む。
「はい、コーヒーどうぞ。お前も、コーヒーでいいよな?」
お盆の上のカップを一つイザの胸に押し付け、他のカップはソファの前のローテーブルに置く。
「にしても、圭吾のやつ、遅いな……」
コーヒーを口にしながら呟くイザに。
「ああ、あいつには、買い物頼んだから。今日は鍋だ、鍋。人数多いからな」



数十分後、両手にいくつものビニール袋を抱えて、圭吾がようやく到着した。
「……ほんま、かなわんわぁ。サカキさん、急に買い物頼みはるし。そのうえ、間違うて、前の家の方、行ってまうし……」
ビニール袋からネギやら大根やらが飛び出しているあたり、なんとも所帯じみた感たっぷりだ。
「どーも。ごくろーさん」
荷物を受け取って、にっこりと笑むサカキを前に、圭吾はまだ何か言いたそうに口を開くが、結局笑顔に圧されて何も言えずに肩を落とし、イザたちのいる方へととぼとぼやってきた。
「なぁ、お前の兄ちゃん、結婚して家出たんちゃうん? こないだ」
文句を言いう圭吾に、
「うん。子供もできたんだけどね。なんかしょっちゅう戻ってくんだよね、うちに。こざっぱりしてる家って、どーも落ち着かないみたい」
「家庭うまくいってないんじゃないの?」
ハルカの指摘に、一瞬場に妙な間が漂う。
「……ハルカって、よく地雷踏むよなー」
けらけら笑うイザに、曖昧な苦笑を浮かべるディンゴを交互に見て、ハルカはようやく図星だということに気づく。
「あ、えと……ごめんなさい、軽率なこと言って……」
「ええねん、ええねん。サカキのことなんて、どーでも。それより、さ。これ見てや」
話を変えると、圭吾は一枚の紙をポケットから取り出し、ローテーブルに投げた。それは、路地裏で見つけた、例のポスターだった。
「これが、どーしたんだ?」
摘まみあげて広げ、怪訝な表情で眺めるイザ。隣に座っていたセイがそれを覗き込み、黙ってポスターのある部分を指差した。そこは、圭吾が気づいた所と同じ箇所だ。
「そう。セイ、ええところに目つけた。そう、それやねん、気になんのは」
「……なんだ? これ」
ポスターをハルカに渡しながら、イザは圭吾に尋ねる。
「同系色の色で描かれてるから、よく見ないとわからんけど……よぉ見たら、漢字みたいな模様みたいなもんが書いてあるやろ?」
一見、他のデザインに紛れてわからないが、よく目を凝らすと確かにそこだけそんな模様が浮かび上がってくる。
「……ほんとだ。何これ」
ディンゴは興味深そうに目をくるくるさせながら、ソファの背後からポスターを覗き込む。
「それな。昔からこの国の呪符とか霊符とか言われるもんに、書かれる文字や。いろんな種類があってな、ヒトを呪ったり、災難を避けたり、願いを叶えたり……そういう効果があると信じられてる文字なんや。……て、こら。イザ、露骨に胡散臭そうな目すんなや」
「……だって。そういうオカルトっぽいもの、興味なくて」
「いいから、黙って最後まで話聞かんかい。なんで、そんなショッピングセンターのセールのポスターなんかに、そないな文字が書かれてたのか、そもそもどういう意味の文字なんか、気になってな。大学に行ったついでに図書館で調べてみてん。んで、似たようなもん、みつけた」
大学から直接ここに来たのだろう。圭吾は、肩にかけていた鞄を開き、厚い史学関係の専門書などが入っている鞄の中から一冊のノートを取り出すと、あるページを開いてみせた。
「まったく同じ字では、ないけどな。よく似てるとは思う」
確かにノートに鉛筆で書かれた文字と、ポスターに印刷されている文字は大まかな部分が似ていた。
「それで、これ、何て意味だったの?」
面白そうに尋ねるハルカ。結構、オカルト好きらしい。
「それがな。これは悪霊や鬼を祓うっちゅう……まぁ、よくある効能の呪符なんやけど……ただ、奈良時代に長屋王(ながやのおおきみ)ていう左大臣が妖術で国家転覆を図ろうとした際に使ったとされる由緒あるもんなんやて。その長屋王ちゅうヒトは、謀略がばれて追い詰められ、自死したって伝わっとるけどな。なんでも、その妖術で、政敵を消そうとしたらしい」
「……ただ単に、話題作りに、曰くのあるモチーフ使っただけなんじゃねぇの?」
「そうとも考えられるけど……なんか、気に引っかかってなぁ」
圭吾が腕を組んで首を傾げたところで、サカキがキッチンから出てきた。両手に、小さく切った野菜やら肉やらを乗せた盆を持って。
「さー、とりあえず、鍋の準備できたぞ。食おう、食おう。代金は、あとで割り勘な。あ、ハルカちゃんはいいから。イザは1・5倍。どーせ、お前、肉しか食わねーんだから」
「……へいへい」
ハルカやセイたちは、がちゃがちゃと、テーブルの上に散乱していたものを片付けはじめる。彼らを端で見ながら、イザはディンゴの傍へ行くと、話しを続ける。
「……それで、何か面白そうなもの、見つかったか?」
ポケットから煙草を取り出すと、イザは口に咥えてライターで火をつけた。その煙草から立ち上る紫煙を眺めながら、ディンゴは少し思案する。
「うん。まずは……僕ら以外にも、この件を調べてる奴が何人もいるみたいで。誰かが調べた行方不明者リストがネットに流れてたのを拾ってみた。あとで、イザのPCにも送っておくよ」
「リスト?」
「うん。ただ……信憑性は…どうかな。行方不明とされている人にはテマに住んでたと思われる人間が多かったけど。そうじゃない、全然別の土地に住んでる人間も結構含まれてた。不法移民、合法な移民、在日韓国・中華系、日本人…どれも入ってる」
「そうか……」
元々、テマという場所は行方不明事件の多い土地だ。多くは犯罪がらみ。そういうものと、今回の突然跡形もなく消えてしまう件との、線引きは非常に困難だ。
「あとは……あまりに漠然としすぎて、どこに情報収集の的を絞ったらいいのか、まだよく掴めなくて」
「……だな。俺も、それは一緒」
「怪しいと思えば、どんな現象も怪しく見えてくるし。些細なことと思えば、大抵なことは些細に見える……難しいね」
「些細なことでもいいから、教えてほしい。何か、少しでも気になったことがあれば」
うーん……と、ディンゴは唸った。そして。
「関係ないかもしれないけど。先月から、都心の夜間電気消費量が多くなってる」
「……夜間電力?」
「そう。例年の同月期に比べて、1.3倍程度。でもね、原因が判らないんだ。そろそろ暖房も必要なくなる時期だし、今年は暖冬だった。むしろ、例年より電力消費量は減ってもいいはずなんだ」
そんな話しをしていた二人の元へ、一人の少女が両手を壁づたいに近づいてくると、ディンゴの腕を引っ張った。
「よぉ。エリー」
イザの声がした方へ顔を向けると、エリーはペコリと頭を下げ挨拶する。ディンゴの妹である彼女は、生まれつき目が見えない。どんなに視力矯正をしても輪郭すら判別できず、唯一光の強弱のみが判別できるのみ。今は眼鏡すらかけることを諦めてしまった。
「どうしたの?」
ディンゴの言葉に、エリーは手話で答える。
彼女自身は自分の手話が見えてはいないが、口の不自由な彼女の一番の会話手段がこの手話だった。
「母さんが起きたんだね。わかった。もうすぐ夕飯だし、呼んでこようか。エリーも来て」
ディンゴに連れられて、エリーはもう一度、イザにペコリと頭を下げると二人は部屋から出て行った。
ディンゴには、サカキを筆頭に、兄がもう一人と姉が二人、そして妹のエリーがいる。もう一人の兄と姉一人も仕事から帰宅し、物で溢れた狭い部屋で、鍋を囲んでの夕飯となった。
「家族が消えてしまったらって思うと、怖くて仕方ない。それって……きっと、自分自身が消えてしまうことよりも恐怖だよね」
そんなディンゴの言葉が、イザの頭にいつまでも残って、離れなかった。
 

 

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