― 5 ―


深夜の、テマ。
表の繁華街から少し外れた場所にある薄暗い裏路地の一つ。
空はうっそうと厚い雲で覆われ、月はおろか、星ひとつ見えない。しかし、街のネオンが雲に映り、薄暗く鈍い明かりの元、足元が見えないというほどの暗さはない。
濫立する雑居ビルの裏口に面した道を、二人の男が賑やかな話声をたてながら、歩いていた。
「ほんとに、こっちでいいんすか?」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ。私鉄の駅に抜けるには、表を行くより、こっちの方が近道なんだってば。ほんと、ほんと」
何軒はしごしたのだろうか、少々おぼつかなくなっている足どりで着くずれしたスーツ姿の男たちは、ひと気のない通りに歩みを進める。
表の喧騒とは打って変って、ひっそりと静まりかえった周囲。
しばらく歩くと、近くのビル上部の開いた窓から、けたたましい音楽と人の話し声が降ってきた。その下を通り過ぎ、もう少しで大きな通りへ抜けられるという辺りまで来たとき。
「どこ、行きはるん?」
場違いなほど、明るい声で後ろから呼び止められた。
足を止めて、今、通り過ぎたばかりのところを怪訝な顔で振り返る二人。今まで誰かがいた気配など、まるで感じなかったのだが。そこには、一人の男が立っていた。ちょうど、外灯の明かりが届かず闇になっている辺りに人影が見える。その辺りは薄暗い闇に沈み顔までは判別できない。ただ、声の調子から、若い男だろうという判断はついた。
「なんだ?」
酒の勢いもあって、男の一人が声を低くし強気に絡む。もう一人の男は、どことなく平常ではない雰囲気を敏感に感じ取って、なおも絡んで近づこうとする同僚の腕をとり。
「やばいっすよ……逃げましょう」
その言葉が終わる間もなく、闇の中にいた若い男が素早く動いた。
何か細長いものが細く煌いた…と思った瞬間、絡んでいた男は呼吸ができなくなり、崩れ落ちた。男は自分が刺されたことなど気づく間もなく、絶命していた。
男の体に何の躊躇いもなく深々と刺した日本刀を、その胸を乱暴に蹴って抜くと、若い男……圭吾は、もう一人の男に向き直る。
柄の部分までどっぷりと赤に染まった刀を持ち、腕や胸に血しぶきを浴びて愉しくて仕方ないというように薄く笑みを浮かべる圭吾の姿に、もう一人の男は、ただ腰を抜かせてアスファルトから動けず、あわあわと叫び声すら発せられずに口を動かすだけだった。
その男に近づくと、
「逃げへんの?」
声も出さず笑う圭吾。
逃げることも叫ぶこともできないでいる男の首めがけて、持っている刀を渾身の力でもって切りつける。男の首から胸にかけて、ぱっくりと赤い筋が走り、男は背中からアスファルトに倒れた。
ぴくりとも動かなくなった二つの死体を眺め、顔についた血をぺロッと嘗めて、圭吾は満足そうに目を細める。
近くの雑居ビルの窓からは、相変わらず賑やかな音楽が漏れ、裏通りに降り続けている。
誰一人、この殺人に気づいたものはいない。
彼の、他人には言えない趣味。人殺し。
いつの頃からかは、わからない。気がつくと、人の命を奪うことに、このうえもない高揚感と満足感を感じるようになっていた。
発作的に、通り魔のようなことをすることもある。ただ、それだけでは自らの欲求を満たすことが難しいため、殺人の依頼を受けることも多々あった。今回の件も、その一つ。
この通りを取引場所として使うドラッグの売人からの依頼だった。ここは表通りから近く、売人が客にクスリを売るには絶好の場所だった。だが、近頃抜け道に使う人が多くて、人通りが多くなり困っていたのだ、という。そこで、適当に殺人を起こして物騒な通りだという評判が立てば、一般人は近寄ってこなくなり仕事がやりやすくなる…ということらしい。そのため、誰でもいいので、通る人間を殺してほしいという依頼だった。
依頼の理由なんて、圭吾にはどうだっていい。ただ、殺しができれば、彼には満足だった。
横たわる死体を一瞥し、さっさとこの場を立ち去ろうとした圭吾は、ふと近くにあった電柱に目を留めた。
正確には、電柱に貼られていた、ポスターに目を取られる。
(あれ……?)
外灯に照らされ、スポットライトのように明るくなった電柱下。そこに貼られたポスター……それは、単なる駅近くの百貨店のクリアランスセールのポスターだった。別に、圭吾が関心をもつ類のものではない。
しかし、圭吾は、そのポスターに近づいた。何か、不釣合いなものを、そのポスターの中に見た気がしたのだ。それが何なのか確認するために、ポスターを覗き込む。
(何やろ……あ、えと…これや)
気づいた。絵柄は、3人のポップな絵の女の子。その背景にある前衛的なデザイン柄。その一部に圭吾の視線がいく。
(何やったっけ、これ……学校の講義で見たわ、こんな図柄)
意味不明の漢字のような文字の羅列と、それに合わさった幾何学的な模様。
圭吾は大学の史学学科の講義で、これとよく似た文字を見たことがあった。
これは、古代の霊符に書かれた文字だ。古の人々が呪詛に使った霊符、それに書かれた霊的な意味を持つとされる文字。
(なんで、こんなもんが、セールのポスターなんかに?)
腑に落ちないものを感じながらも、とりあえずこの場を直ぐに立ち去りたい気持ちから、圭吾はそのポスターを破り取るとポケットに捻りこんで、足早に闇に乗じて姿を消した。



「ちわー。頼まれたもん、もってきましたー」
テマに数多くあるクラブの一つ。この店は、古くからイザが取引している店の一つだ。
勝手知った店であることから、裏口のドアを開けて声ひとつかけると断りもなく入り、店の裏にあるオフィスへ向かう。右腕に抱えているのは、小さな茶色いダンボール。この中に、今日渡す品が入っていた。
オフィスのドアを開けると、この店のオーナーが、店用のイブニングドレスの上に素朴なカーディガンをひっかけた姿で、古びたスチームデスクのノートパソコンを睨んでいた。デスクのうえに散らばった伝票。どうやら、帳簿をつけていたらしい。
「ああ、敬ちゃん」
イザを見るなり、そのオーナー女性は、やや疲れた顔でにこりと笑む。敬ちゃん……敬一とは、イザがこの街でよく使う通称の一つだ。
ぺこりと頭を軽く下げると、イザは持っていたダンボールをデスクに置く。
「前回、注文もらった品です。確認してください」
「はいはい」
頭の上にかけていたメガネを下ろすと、彼女はダンボールを開け、中身を一つ一つ確認していく。中に入っていたのは、粉状のもの、錠剤状のもの、シート状のもの…様々な形をした薬物…いわゆる、ドラッグだ。
これが、イザの仕事。運び屋やドラッグ製造者から大量のドラッグ類を卸し、売人や店などに卸す麻薬ディーラー。ついでに、銃火器類を扱うこともある。
ダンボールの底には、数丁の銃が入っていた。彼女はその銃の一つを取り上げると、トリガーに手をかけ、感触を確かめる。イザは、ざっと仕様や使い方を説明し、
「22口径だから、威力はそんなに無いんで。あくまで護身用です。けど、全体に小ぶりなんで、ハンドバッグにも入るサイズです」
彼女は、イザの説明を聞きながら、にこりと笑んだ。
「充分だ。ありがとう。支払いは、いつものとこに振り込んでおくよ」
彼女がパソコン上で操作をすると、イザはすぐに自分の携帯を取り出し、
「入金確認しました。ありがとうございます」
自分の口座に指定の金額が振り込まれたことを確認して、携帯をぱちりと閉じる。
「これが、次の注文。よろしくね……あ、それと、なんか客にばらまける面白い薬があったら、持ってきてよ」
メモ用紙に走り書きしたものを、指でイザに渡し、彼女は艶やかな笑みを向ける。
「それなら、面白いデザイナーズ、持ってきますよ。飴状なんだけど、すぐに綺麗に酔えるんで、使い慣れてない人でも使いやすいって、評判になってるやつ」
「あ、いいね、それ。新規開拓してかなきゃ、うちもやってけないしねー」
了解しました……といって、部屋から出ていこうとしたイザを、
「……あのさ」
彼女の声が、呼び止める。まだ、何か?……と足を止めて振り返るイザに、彼女は思案するように一度視線を彷徨わせたあと、口を開いた。
「あんた、この店に来るようになって、長かったわよね……」
「……はい。もう、5〜6年にはなるかな?」
人の入れ替わりの早いこの業界においては、5年以上付き合いが続いているというのは、かなり長い部類に入る。
「じゃあさ……知ってるかな。この店の入ってる建物の持ち主が誰だったか……」
イザは、怪訝げに眉を寄せる。
「……いくら俺でも、そんなこと知ってるわけないじゃないですか」
イザの答えに彼女はあっけらかんと笑って。
「そうだよね。ごめん、ごめん。変なこと聞いて」
「……何か、あったんですか?」
なおも訊いてくるイザに、彼女はもう一度押し黙ったあと。
「当たり前だけど、この店を持ってからもう何年も、家賃を払ってたはずなんだよね。私、そういうことは、結構きっちりしてる性格だと思ってるんでさ。でもね……先月の支払いから……おかしなことにね、どこに支払いをしていたのか、わからなくなっちゃってるのよ……」
「……はぁ?」
言われたことの意味がすぐに飲み込めず、イザは聞き返した。
「それで、調べてみたのよ。この建物と建ってる土地の謄本を登記所で取ってきてね。そしたら……妙なの。ここの土地、ずっと前から国有地になってることになってて。建物の所有者も、とっくに亡くなってた……」
「……国有地?」
そんなこと、ありえないわよね。私、いままで、どこに家賃払ってたのかしら……と、彼女は一人、不思議そうに首を傾げた。

 

 /