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セイがテマへと行ったあの日から、一週間ほど経った頃。
セイの携帯電話にイザからのメールが入る。文面は、『近いうちに、またこっちに来ないか?』という程度のものだった。
携帯電話を手に、セイは悩んだ。正直言えば、あんな人が多く物騒な場所へ行くことも、あの怖い人たちに会うのも億劫だった。しかし、イザには自分の名前も住所も知られてしまっている。自宅まで直接来られるかもしれないことを思うと、こちらから会いに行った方がまだましだ。そう思い、セイは仕方なく、イザの誘いに乗る返事を返した。
数日後、セイは再びK駅の前にいた。
平日の昼間であるためか、以前来たときより、幾分人通りは少なく感じられる。
「よぉ」
声をかけられた方に顔を向けると、そこにはイザが立っていた。ラフに着たシャツの上に黒っぽいジャケットを羽織り、少し皮肉げに微笑を浮かべる端正な顔立ちとあいまって、 そのままファッション雑誌に出ていてもおかしくなさそうだと、セイは内心思う。もっとも、ファッション雑誌なんて、セイ自身、ほとんど目を通したことなどないのだが。
「まさか、ちゃんと来るとは思ってなかったよ」
「え……だって、あなたが来いって言ったんじゃ……」
「よく、逃げなかったな、ってことだ」
ポンとセイの肩を叩いて、にっこり笑うイザ。その悪戯っぽい目に、セイは自分が今までずっと家に引き篭っていたことを見透かされているようで、ドキリとする。
しかし、イザはそれ以上追求することはなく。
「ついて来いよ」
それだけ告げると、すたすた慣れた足取りで、人ごみの中を歩いて行ってしまった。
「あ……ちょっと、待ってくださいよ!」
セイは、既に人ごみの中に消えかけていたイザの背中を追って走っていった。



イザは、賑やかな表通りを慣れた足取りでしばらく歩くと、路地を曲がり、人影の少ない通りへと進んでいく。騒がしい喧騒が遠のき、狭い通りには、表通りに店を出せないような小さなスナックや風俗店がひしめき合うように軒を連ねていた。
店の前でなにやら言い合いをしている若い女性たち、しかし中国語だろうか、何を言っているのかはさっぱりセイには聞き取れなかった。その女性たちの方に気を取られて歩いていると、路地に無造作に置かれた自転車のサドルに座って美味そうに煙草を吸っていた老婆にぶつかりそうになり、セイは慌てて飛びのく。老婆は、にやりと笑って一言セイに言葉をかけたが、その言葉もセイは聞いたこともない言語だった。
急に怖くなり、セイは前を歩くイザに足早に駆け寄ると、迷子になりたくない一心からイザのジャケットを握った。一瞬、手が何か硬いものに当たった気がする。
すると、イザが足を止め。
「ああ。触らない方がいいよ」
何のことかわからず、怪訝な顔をして見上げるセイに、イザは少し困惑した顔をした後。周りに人がいないことを目で確認すると、ジャケットを少し挙げて、ジーンズに挿してあるものをチラと見せた。
その、鈍い光を放つ鉛色の物体が、はじめ何かわからずセイは目を凝らして、そして腰が抜けそうなほど驚いた。
(銃……!)
ホルスターも付けずに、グリップの部分で直接ジーンズにひっかけるように挿し、そのうえからジャケットで隠して見えないようにしてあったため、今まで気づかなかったのだ。
「な、なんで、そんなもの……」
「俺の命綱。……大丈夫だって。さあ、行こうぜ。もうすぐ、着くから。……不安なら、手でも握っとく?」
セイは、ブンブンと首を大きく横に振った。
やっぱりここは、自分の日常とはずいぶん感覚の違う場所なのだと、改めて思い知らされた気がしていた。
イザの言うとおり、彼の目的地は、そこから目と鼻の先にあった。
立ち並ぶ古い雑居ビルの片隅にある地下への階段。その狭く傾斜の急な一直線の階段を下りると、木の扉に『calnn』(クラン)と青く光る文字が掲げられている。
その扉を開くと、中から人々のざわめく声と熱気が漏れてきた。
左手には、長いカウンター。右手と店の奥には、木目の綺麗な楕円形のテーブル席がいくつか並んでいる。店内に控えめに流れているのは、軽快なケルトミュージック。アイリッシュパブとかいうものらしい。
店の人に案内される間もなく、店の奥から声がかかる。
「あ! こっちこっち!」
見ると、一番奥のテーブルから、赤茶けた髪の青年が無邪気な笑顔を浮かべてこちらに手を振っていた。
それに、イザが軽く手をあげて応える。そのテーブルへ行くと、既に圭吾とハルカも来ていて、カクテル片手に会話を楽しんでいた。セイは彼らに小さく頭を下げて挨拶をした。
「イザー。遅いやんか」
「……約束の時間どおりだろ。お前ら、いつから来てんだよ」
「んー……ワイ、今日は講義ないから、昼前からここで、ぐだぐだしとった」
そう言って笑う圭吾に、軽い嘆息で応じると、イザは席に座ると早々にカウンターにいる店員にむかってウイスキーを注文。
「で、セイ。お前は、何にする?」
「あ、えと……」
パブの雑然とした雰囲気に気後れして、セイは飲み物の注文どころではなかった。
イザに促されて、セイはここでも戸惑う。なんだかテマに来るたびに、戸惑いっぱなしだが。
いままでアルコール類をほとんど飲んだことがなかった。覚えているのは、小学生のときに正月に自宅で飲んだ屠蘇くらいか?
当然、何を注文したらいいのかすら、わからない。こういう飲み屋に、ノンアルコールの飲み物も置いてあるのだということすら、知らなかった。
とりあえず、
「……イザと同じので、いい」
イザは本当にそれでいいのか?と目でセイに確かめるが、セイはオタオタと頷くだけだった。
「じゃあ、俺と同じの、もう一杯お願い」
カウンターに注文を投げると、イザはテーブルに頬杖をつき、
「んで。ディンゴ。わかったこと話してくれよ」
その赤茶けた髪の青年に話を促す。ディンゴと呼ばれた青年は小さく頷くと、人好きのする笑顔でセイに笑いかけた。
「君、鈴鹿 聖くんでしょ? よろしく。僕のことは、ディンゴって呼んで」
ディンゴという呼び名に、セイはどこかで聞き覚えがあるような記憶があった。彼の明るい笑顔を見ながら、しばし考え込み、ようやく思い出す。
「あ……携帯の!」
「そうそう。覚えてた? この前、イザが君の携帯から、君の身元調べるようにって電話してたでしょ。その相手が僕」
「ディンゴは、クラッカーなんだ。ネットから違法に他のPCとかに入り込んで情報を盗んでくるプロ」
テーブルに置いてあった、おつまみのポップコーンを摘みながらイザが付け加える。
「人聞き悪いなぁ。僕は、ハッカー。お金のために情報をちょっと拝借するだけじゃん。破壊することしか興味ないようなクラッカーなんかと一緒にしないでよ」
文句を言うディンゴに、はいはいと適当に答え、こっそりと「同じじゃねぇかよ」と呟くイザの言葉が隣に座るセイには聞こえた。
そのとき、店員が、イザとセイの飲み物を持ってきてテーブルに置いた。イザは、その茶色い液体の入ったグラスを手にとると無表情に口をつける。セイも、同じように自分のグラスの中のそれを口に含んで、思いがけず舌を焼かれるような強いアルコールの風味と、かび臭いような香りにむせ返った。
誰かが差し出してくれたコップの水を全部飲み干して、ようやく肩を撫で下ろす。
隣では、イザが、だから言わんこっちゃない……という顔をしながら、悠然とグラスを傾けていた。
「で。僕が調べて判ったことなんだけど」
ディンゴが話し始め、自然に他の面子は会話を止めて彼の話に耳を傾ける。
「イザに言われて、ネット上の書き込みとか話題になってることとか調べてみたんだ」
ディンゴは話しながらストローで自分のオレンジジュースをかき混ぜた。中で氷同士が当たって、彼の話の合間に、グラスがカランカランと心地よい音をたてる。
「まるで神隠しのように人がいなくなるって話ね……確かに、いくつかブログとかでそういう話題を見かけた。イザから聞いた二人以外にも消えた人たちがいて、俺たちみたいにそれに気づき始めた人も少数ながらいる。書き込みの大部分は、まだ都市伝説程度のものだけど。でもね……不思議なことに、どれも数時間後には綺麗に削除されて跡形がなくなってるんだ」
え…と、誰かが息を飲んだ。
「それでもっと詳しく調べようと思って、いろんなプロバイダーの内部に入り込んでみた。それでわかったことだけど、どうやら組織的に削除されてるみたいなんだよね。いくつかのキーワードに引っかかる内容が作為的に抽出されて、消されてる。」
「それは…つまり、プロバイダー各社が、意図的に消して周ってるってことか? 全てのプロバイダーが?」
イザの問いに、ディンゴはコクンと頷く。
「大手はね。しかもね……これが一番不気味なんだけど。そういう書き込み情報の発信地はある地域に集中していた。それが……ここだよ。ここ、テマ」
こつんと、ディンゴはテーブルを指で小突いた。
「神隠しは、確かに起きてる。それも、テマで集中的に」
店内に軽快なBGMが流れる中、このテーブルにだけ、しん…と重い空気が漂う。
驚き反面、やっぱり…という意識も皆の胸の中にあった。
この混沌とした街のことだ、都市伝説まがいなことが実際起こっても不思議はないような、そんな妙な納得した気持ち。もしくは、この街を快く思わない何者かの仕業なのか?
「にしても、プロバイダー各社の迅速すぎる動き…なんか気になるなぁ」
圭吾が怪訝げに首を傾げた。
「プロバイダーだけじゃ、ないかもな……」
ぼそっと呟いたのは、イザ。
「なんや、それだけやない、て」
「企業が自分とこの判断だけで、こんなことすると思うか? いくつもの会社が足並み揃えて?」
「あ……ということは、もっと上部の何かが圧力かけて、とかそういう…」
セイの言葉に、イザは頷く。
「そう考えるのが自然だろうな。ソレが何なのかは、検討もつかないけど」
「あ、あのねっ、あのねっ」
それまで黙っていたハルカが、突然話に入ってきた。
「私も病院で勤務してて感じるの。最近、空きベッドが増えたな……て。満床のはずなのによ? ちゃんと毎朝数を確認してから配膳しているはずなのに、なぜか配膳が余ったりすることも多くて……それから」
言いたかったことを一気に吐き出させるようにハルカは続けた。
「それから…思い出したの。消えた友達のことっ」
「えっ!」
これには、一同が驚いた。
「思い出したって……チサトのこと!?」
思わず椅子から腰を浮かせ迫るセイに、ハルカはうんうんと頷いて見せた。
「そう。チサト。あなたたちに会ったあと、いなくなった彼女のことを意識するようになってからかな…。ちょ、迫ってこないでよっ」
「話して。続き」
なおも身を乗り出そうとするセイを無理やり椅子に押さえつけて、イザが促す。
イザに頷くと、ハルカは再び話し出した。
「この前、貴方たちに会ってからね。仕事中もあの子のことを考えることが多くなって。そのせいかな、あの子についての記憶が少しずつ戻ってきたの。突然、ふっと思い出す感じ?」
手に持って回していたグラスの、ピンク色のカクテルをコクっと飲み干す。
「彼女の名前は、千の里と書いて、千里。確か、鎌倉の出身で、大学の看護学科を出た後、去年の春からあの病院の小児科に配属になったの。私とは同期入院……あ、入院て病院に勤め始めることね? 同期の中でも、私はあの子とは特に仲が良くて……。いつも一緒にご飯食べたり、休みの日が合うと遊びに行ったり、色々相談しあったり。思い出してみると……なんで、そんな身近にいた千里のことを忘れてしまってたのか、すごく不思議。まるで、一時的な記憶喪失になったみたい」
「記憶喪失……何か、思い当たることってある?」
イザの問いに、ハルカは首を横にふる。
「全然。気味が悪い……千里は、どこに行ってしまったの? なんで、婦長も他の同期も誰も彼女のことを覚えてないの? なんで、私は千里を忘れてしまっていたの?」
噴出すハルカの問いに、答えられる者は誰もいなかった。

 

 

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