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ディンゴは、自室にある自分の勉強机に座ってガラス瓶を眺めていた。広口で、上部が蓋になっており、蓋をひねって開けるタイプのガラス瓶だ。
中には、ビー玉が入っている。全て違う色の、色とりどりのビー玉。
ガラス瓶に入っているビー玉は、全部で6つ。それは、彼と彼の家族の人数を表していた。
誰かいなくなったとき、それに気づけないことが一番怖い。
そう思って、しばらく前から、ディンゴは一日何度かこのガラス瓶を眺め、中のビー玉と家族の顔を照らし合わせて、人数を確認することを日課にしている。
「青いビー玉は、サカキ兄ちゃんでしょ。水色は、シン兄ちゃんで。赤は、リカ姉ちゃんで、ピンクはメイ姉ちゃん。それに、僕とエリーと……」
数を照らし合わせていたディンゴの手が止まった。
一つ、余るのだ。ビー玉が。
「あ……あれ? え……」
ぞくりと、背筋を冷たいものが走る。臓腑を凍った手で鷲掴みにされたような嫌な違和感。思い出せない。なぜ、一つ余ってしまうのか。
「え? も、もう一度っ」
焦る気持ちを抑えて、数え直す。
机の上に、ビー玉をぶちまけて、何度も何度も。
「サカキ兄ちゃんとシンと、リカにメイ姉ちゃんに、エリーと。僕と」
けれど、何度数えなおしても、余るのだ。
ビー玉が一つ。
その白いビー玉に、自分は一体、いままで誰を当てはめていたのだろうか。
ディンゴは、机に肘をついて額を抑える。机の上に散らばった色とりどりのビー玉を凝視したまま、目を離せない。
おかしい。絶対、おかしい。何かが、欠けてしまった。自分の記憶から。
何か、大切な。すごく大切な記憶が。
衝動的に、弾かれたように後ろを振り返る。
しんと静まり返って、誰もいない暗い室内。今日は、サカキも他の兄、姉たちも家にはいない。家にいたのは、自分とエリーと……そして?
わかったことは、ただ一つ。
消えてしまったとういこと。すごく、大切な……誰かが。



テマの繁華街は、以前と変わらない賑わいを見せている。しかし、その裏に続く不法移民たちが暮すスラム街は違った。
明らかに、治安が悪化している。
あちこちで頻繁におこる、小競り合いや小規模な暴動。普段なら、様々な言語が飛び交う、表通りとはまた違った賑やかさがある街なのだが、今は通りを歩く人影も疎らで、閑散とした異様な雰囲気が漂っていた。
(……なんか、嫌な空気)
鬱屈としたものを感じながら、イザは通りを歩いていた。
と、通りの片隅に数人の若い男たちがたむろしているのが目に入る。なにやら、警戒するように、ひそひそと男たちは立ち話をしているようだった。
辺りに目を走らせると、通りの反対側にも数人の若い男たち。少し離れたところにも、何人かがいた。明らかに日系とは違う、東南アジア系とみられる風貌。手には、鉄パイプや棍棒、ライフルを持っている者もいる。
彼らは互いに、目配せし、何かのタイミングをうかがっているようだった。
彼らの視線の先にあるのは、派手な看板と静かな通りに不似合いなほど大きな音量で宣伝文句を垂れ流す家電量販店。大手量販店のフランチャイズだ。
(やっべ……あいつら、狙ってやがる)
あの店を襲おうと、機会を伺っているのだろう。暴動に巻き込まれたら面倒だ、と思い、イザは道を変えようと足を止めた。
と、そのイザの視界の端に、どこかで見たような人物の姿が留まる。
セイだった。『calnn』で誰かと飲んで駅にでも向かう途中だろうか。
セイは、イザに気づいた様子もなく、俯き加減のいつもの歩き方で、ゆっくりとこちらに向かってきている。もちろん、通りにたむろする男たちにも、張り詰めた空気にも気づいた様子は微塵もない。
(あの、馬鹿……)
ここから声をかけようかとも思ったが、そんなことすれば、今にも襲撃を開始しようとしている奴らを刺激しかねない。
そのまま店の前を歩いて通り過ぎるのを見守るか……なんて思っていると、あろうことか、セイは、たった今狙われている最中のその家電量販店の前で足を止めると、店頭に展示されている新作の携帯電話を手にとって眺めだす。
(ああ、ったく……)
そのとき。商品を整理しようと店の中から出てきた店員が、店の外を取り囲むように狙っている男たちの存在に気づいた。誰かを呼びに行こうとしたのだろうか、慌てて店の中へと戻っていく。
それが、契機となった。
店を取り巻いていた男たちが、一斉に行動を起こしたのだ。
まず、ライフルを持っていた男が、店のウィンドウに向けてライフルを乱射した。乱射音とガラスが割れて崩れ落ちる音で、辺りは一気に騒然となる。
店内に居た他の客たちは、半瞬遅れて悲鳴や叫び声を上げ、店の外にいた者は暴動の始まりを見て、この場から全速力で逃げ出した。
男たちは、手にもった武器を掲げて、店へと走り寄る。
暴動は始まってしまった。
(セイは……)
ライフルが放たれたとき、ガラスが崩れ落ちる寸前、驚いたセイが頭を抱えて地面にうずくまったように見えた。襲撃後のセイの姿を確認できる前に、イザも駆け出していた。
男たちは、家電量販店の店内に入ると、手にもった武器で店内を破壊しはじめ、店の商品を漁って抱えるだけ抱えると店の外に持ち出そうとしている。
「セイ! 生きてるか?」
崩れ落ちたガラスの破片の中に、セイの姿を見つけ、イザは腕を掴むと起き上がらせようとする。意識はあるようだった。ざっと見た限りでは、弾が当たった様子もない。
しかし、突然暴動に巻き込まれたショックから、腰が抜けたように動けなくなっていた。口も利けそうになく、あわあわと何か言葉にならないことを呟いている。
と。店内から、数発。重い、銃声が響いた。
男が数人、店から慌てた様子で出てくる。負傷したらしい、血まみれの仲間を引きずりながら。
それを追いかけるように出てきたのは、量販店の制服を着た、恰幅のいい男。
「うちの店を、狙ったことを、後悔させてやるぞ、餓鬼どもっ!」
とか言いながら、手にもったショットガンを、次々に路上を逃げていく男たちに向けて放っていく。
しかし、暴徒となった男たちも負けてはいない。
路上に駐車された車の陰に身を隠しながら、機会を伺い、店に向かって銃で撃ってくる。心なしか、暴徒の人数が増えているようにも見える。先ほど突入したのは、先遣隊で、他にも仲間たちが隠れていたのか。それとも、暴動に便乗した奴らが現れてきたのか。
どちらにしろ、すっかり銃撃戦の様相を呈していた。
イザは、慌てて、ガラスの割れたウィンドウからセイをつれて店内へと滑り込むと、傍に展示されていた型落ち特価品の大型テレビの裏に隠れて、銃を抜く。
その様子を見たショットガンの店員が、銃口をイザたちに向けた。
「違う。違う。俺たちは、通りがかりだよ! 撃つな! あいつら、蹴散らすの手伝うから!」
その言葉に敵ではないと判断したらしく、ショットガン店員はコクリと一度頷くと、再びショットガンを店の外に向け、まるでシューティングゲームでもするかのように暴徒に撃ちこんでいく。
しかし、暴徒からの銃撃は止む気配もない。外からは、しきりに銃声が聞こえ、ひっきりなしに店内の床や棚、商品の家電やテレビなどに弾が弾けた。
隠れているテレビの影から出ないようにセイの頭を押さえつけると、もう片方の手に握った銃でイザも、路上の自動車の陰から暴徒の頭が覗いた瞬間を狙って引き金を引いた。狙った暴徒は、一瞬、赤い霧を飛ばすと後ろに倒れ、そのまま動かなくなった。ついで、他の暴徒の腕や足を狙い、2,3人を行動不能にする。
「おい! 他にも武器持ってる奴がいたら、応戦しろよ! こっちは弾に限りがあるんだ。弾が切れたら、あいつら突入してくんぞ!」
イザは銃撃戦の合間、流れ弾を避けて店の奥に固まっていた、不運な客たちに向かって叫んだ。
その呼びかけに応じて、二人の客が立ち上がる。手には、それぞれ護身用の銃。物騒な地域の幸運。その二人の客に援護射撃をしてもらいながら、店員とイザとで暴徒の半数程度を行動不能に陥らせた頃、ようやく騒ぎを聞きつけた警察車両が到着した。店の前で二台のパトカーが急停車し、数台のパトカーはそのまま、蜘蛛の子を散らすように逃走しだした暴徒たちを追って店の前を猛スピードで通り過ぎた。
「おい。セイ! しっかりしろよ」
イザの足元で座り込んだままのセイの肩を揺さぶり、耳元で声を張り上げるが、セイはまだ空ろな眸をしている。仕方なく、イザはセイの脇に手を回して、引きずるようにして店の奥へと行った。
警官が店内に入ってくる前に、自分たちも逃げなくてはならない。セイはともかく、イザは警察に捕まるわけにはいかないのだ。たとえ、今回の銃撃は正当防衛だったとしても、尋問を受ければ、余罪を追及されかねない。そうなると……不法滞在、過去の殺人や暴行、恐喝などの罪状で二度と刑務所の外に出ることは敵わなくなる。それどころか、この国にはまだ、死刑制度も残っているのだ。
はっきりいって、暴徒よりも、警察の方がやっかいだ。
(やばいな、どうしよう……)
制服を着た警官が、店の前でパトカーから降りるのが目に入った。どこか逃げる場所はないかと探していたところ、肩を突然叩かれる。
見ると、暴徒と一緒に戦った、あの恰幅のいい店員だった。彼は、在庫商品のダンボールがうず高く天井まで詰まれた一角を指差す。よく見ると、ダンボールの隙間から非常口の緑のランプが見えていた。あそこから逃げろというのだろう。
「わかった。さんきゅ」
イザが笑顔で礼を言うと、店員はやはり無言で、イザたちの横を通り過ぎて、店の入り口へと向かった。そして、背中に回した手で、隠すようにこっそりと、イザたちにむけ、親指を立てて見せる。グッドラック、と彼が言っているように思えて、イザはもう一度、顔を綻ばせた。
セイを引きずって、イザが商品棚の後ろへと姿を隠すのと、ほぼ同時に店内に警官が入ってくる。店員は、まるで警官を足止めするかのように彼らの前に立つと、ここで何があったかを、早口の酷い訛りでまくしたてた。
店員が警官たちの気を引いている隙に、イザたちは商品棚の間を抜け、その奥にある非常口前のダンボール箱を押しのけると外へ出る。
店の裏は、駐車場だった。イザは傍に止められていた国産車に近づく。そして、運転席の窓とドア枠との隙間にズボンのポケットから取り出した金属片を差し込んだ。わずかに動かすだけで、カチリという音とともにロックが外れる。
イザはドアを開けると、ドア枠に手をついて支えとし、ハンドル脇の鍵穴に向けて自分の踵を渾身の力で落とした。ハンドルを支えていたプラスチックの支柱が割れ、鍵穴周辺に大きな穴が開く。その穴に手をつっこみ、配線を弄くると、車は低いうなり声をあげて、エンジンを回し始めた。エンジンがかかったことを確認して、イザは後部座席のドアを開けると、セイを抱えて乱暴に放り込んだ。自分は運転席に乗り込み、勢いよく車を始動させる。
家電量販店の非常口を出てから車を盗んで去るまで、ものの数分。首尾よく、イザたちはその場を後にした。



「おいっ。セイ。大丈夫か?」
暴動の現場から離れるため、イザは一旦、テマの外へ向けて車を走らせる。追っ手が来ていないことに確信が持てるくらい充分な距離と時間を走らせた後、イザはようやく後部座席に放り込んだセイのことが気になって、声をかけた。バックミラーからは、放り込まれたときのまま、妙な方向に持ち上がったセイの足が見える。
「聞こえてるか?」
一旦、車を止めて無事を確認した方がいいかな、と迷いはじめたとき、
「………ん………」
うめき声とともに、セイが体を動かすのが判った。
とりあえず、大怪我をしているということはなさそうだとイザは胸を撫で下ろす。
「……生きてるか?」
「………うん。なんとか」
やや間があって、思いのほか、しっかりとした声音の返答が返ってきた。
「俺が、たまたま、あの店の近くを通りかかって良かったな。じゃなかったら、お前、蜂の巣にされてたかもよ?」
からかうように笑って言うイザの口調。しかし、それは冗談でもなく、真実だった。
「……びっくりした。本当に、死ぬかと思った……」
「まぁ……助かったんだから、良しとしようぜ。怪我は?」
「……大丈夫。でも、なんか腰が抜けたみたいで、まだ足に力が入らなくて」
ハンドルを握って前を見たまま、イザはセイの言葉に苦笑を浮かべる。
「……なんだったんです、あれ」
緊張が解けて安心したためか、事情を知りたいという欲求が頭をもたげてきたのだろう。セイは、いつになく積極的にイザに尋ねた。
「小さな暴動だよ。ああいう、日本人のやってる店とか、日本資本の店なんかを襲う事件が、テマじゃ最近多発してる」
「知らなかった。ニュースでも、そんなの出てなかったし……」
「そうだな。マスコミも、テマのことには、あまり興味を持たないし」
答えながらも、イザは自分で自分の言葉に違和感を感じる。確かに、殺人などの犯罪が多発するテマのニュースを、マスコミはほとんど取り上げることはない。あまりに頻繁に起きるうえ、ほとんどが加害者も被害者も外国人か移民であるため、興味もないのだろう。
けれど……ここ最近、テマ内で小規模とはいえ日本人を狙った暴動が頻発していることに対しても、イザ自身、新聞やテレビで報道されているのを、ほとんど見聞きした記憶がなかった。これは、そんなに無視できるほどの事件だろうか? そこまで、マスコミは鈍感だろうか。
いや……。
(この件に関しては、どこかで、マスコミの報道規制がかけられていると考えた方が自然かもしれないな)
イザの思索とは関係なく、セイは話を続ける。
「なんか、治安悪くなってんですね、あのあたり」
「そうだな……ここ最近。特に。このままだと、もっと大きな暴動に発展しかねないかもな」
店を単発的に狙うような小規模のものではなく、テマ全体を巻き込むような暴動に。
そうなったら……警察や入管当局に、付け入る隙を与えるだけだ。暴動鎮圧の大義名分のもと、徹底的な一斉介入でもされたら。それを跳ね返すだけの力が、今のテマにはあるだろうか。
「暴動が頻発するのも……もしかして、あちこちで人が消える現象のせい?」
「さあな。直接の原因ではないかもしれないけど……住民の不安を、暴動にかりたてるくらいに高めてる主因ではあるかもな」
イザの言葉を受けて、セイが躊躇いがちに言葉を繋ぐ。
「じゃあ、やっぱり……大きな何かが、テマの人たちを消そうとしてるのかな」
「……大きな何か、って。何だよ」
「たとえば……政府、とか」
「………」
可能性として、イザも考えないわけではない。でも、何のために? どうやって?
荒唐無稽すぎる。疑問は深くなるばかりだ。
「だって、テマは、ずっと目の上のタンコブだったわけでしょ? なくなって欲しいと願ってる偉い人は、たくさんいるはずだし」
「もし、主犯が政府だか、国の総意だか、そんなものだったとして。理由は、いくらでも考え付く。国内の犯罪拠点になってるだけじゃなく、海外にまで麻薬や違法な武器を流す中継地になってるからな、テマは。そのうえ、増え続ける不法移民のために治安は悪化する一方で、移民対策費は上がる一方。そのために日本人の税金はあがりっぱなし? そのせいで景気は回復しなくて、公共工事が減って、さらに景気が悪化しての悪循環。あの街の、不法移民や犯罪者がごっそりいなくなってくれれば、なんて考えてる奴は吐いて捨てるほどいる」
「でしょ? だから、やっぱり……」
「だからといって。どうやって、人間を消すんだ? 常識的に考えろよ。んなことすりゃ、いくら移民相手とはいえ……いや、弱者の移民相手だからこそ、国際社会から叩かれるぞ? それって『良い日本人』以外は消えろっていう、ある意味、民俗浄化じゃねぇかよ。大問題になんぞ? 経済封鎖でもされりゃ、貿易に依存して生きてるこの国が、どうやってこれから生きてくんだよ」
「それも、そうですね……」
イザに反論されて、セイは口をつぐむ。
しかし、イザは頭の中で自分の言ったことを反芻していた。
そう…人を消すために考えられる方法、たとえば、一斉強制退去や隔離、ましてや虐殺なんてことは行えるはずがないのだ。この国は一応、先進国なのだから。
それらの行為は目立つ。秘密裏にやろうとしても、テマに住む何万人もの人間に対して行おうとすれば、絶対に国際社会に露見する。こんなにネットの普及した世の中じゃ。
じゃあ……もし、本当に秘密裏に、人を消す方法が見つかったら? その方法は、人を消すだけでなく、記憶や記録までも道連れにして消えてしまう……そんな方法が本当にあるとしたら……?
邪魔な存在を消すために、それを使いたいと考える欲求を、人は抑えられるだけの強い意思をもてるものなのだろうか。
(もし俺だったら、使っちゃうねぇ……きっと)
倫理や、人権意識は、そんな欲求の前には無力だろう。
そのとき、助手席に投げてあったイザの鞄の中から、低いバイブ音が響いた。常にマナーモードにしてある自分の携帯電話だ。イザはハンドルを右手で操作しながら、左手で鞄の中を弄って、携帯電話を取り出した。ディスプレイにはディンゴからの着信であることが表示されている。
「はい」
『イザっ!!』
声に、明らかに狼狽した響きがあった。
「……どうした?」
『どうしよう、どうしよう、イザ……』
携帯電話から聞こえるディンゴの声は酷く震えていて、まるで泣いているようだった。

 

 

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