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「来ちゃった……」
肩からずり落ちるバックパックの肩ひもを、かけなおしながら、セイは一人呟く。
ここは、バスターミナル。
昨日、突然イザから電話があった。
『あのさ。明日、一人で、ユージの地元まで飛んでくんない? お願いっ』
初めは、無理無理と断固拒否の姿勢だったが、あのイザにお願いと何度も電話口で頼まれては、最後まで拒否を貫くことはできなかった。
「わ、わかったよ……いいけど……イザも、すぐに来てよ?」
15分後には、そう答えてしまっていた。電話を切ったあと、なんで断れないんだー、僕のヘタレ……と、自分の不甲斐なさに凹んだが。
そんなわけで、その日の夜にイザの予約してくれた長距離夜行バスにのって、目が覚めたら目的地の。とある地方都市に居たというわけだ。
夜行バスに乗ったのなんて初めてだったし絶対寝れないだろうと思っていたけれど、乗る前にがちがちに緊張しすぎていたせいか、バスが走り出して室内の照明が暗く落とされると、ふっと意識が遠のいて気がついたら朝だった。
「こっから、どうしたらいいんだろう」
さっそく、おうちに帰りたくなった。知らない土地に、知らない人たち。そんな中にポツリといると、たまらなく不安になってくる。
ターミナルの端っこに座り込んで、バスに乗る前見送りにきたイザに手渡された紙をポケットから取り出す。
くしゃくしゃに丸まった紙を広げると、ユージの家の住所と、そこまでの乗り継ぎ方法が書かれていた。
(無理だよー。こんなとこいくの。今すぐ、新宿に戻るバスに乗っちゃおうかな。イザたちには、適当に言えばいいよ……探したけど、みつかりませんでしたって。それとも、自分ちに帰らずに、千葉のおばあちゃんとこに行こうかな。そこまでは、イザも追っかけてこないだろう)
なんて、どんどん考えが後ろ向きになっていく。
(うん。やっぱ、僕には、無理。帰ろう)
後ろ向きに考えがまとまり、立ち上がったところで。
「兄ちゃん。迷ったのか?」
通りすがりの男が、ひょいっとセイの持っていた紙を覗き込んだ。
「へ? あ、い、いや……」
もじもじと戸惑うセイを尻目に、男はセイの手にあった紙を取り上げ。
「おお。兄ちゃん。これなら、ほら、あっそこ左曲がって真っ直ぐ行くと駅があるから。そっから下りの電車に乗って5駅ほど行ったところだよ」
なんて、手振りも交えて教えてくれる。
こうなってしまうと、『いえ。僕は、東京に帰るところなんです』なんて言う勇気はセイにあるはずもなく。
「迷うほど、複雑でもないから、いってらっしゃい」
と、にこやかに返された紙を受け取ると、男が教えてくれた方へ仕方なく歩き出した。
後ろを振り返ると、男が笑顔で手を振っている。
(新宿行きのバスに乗りたいのに。バスターミナルに戻れない〜)
内心泣きたくなりながら、とぼとぼと男に言われたとおり駅へと向かった。



電車に揺られて20分ほど。
セイは、ユージの実家のある町へとたどり着く。
費用はイザからたっぷり渡されていたので、とりあえず駅前からタクシーでユージの家へと向かうことにした。
タクシーに乗り込み、ユージの家の住所が書かれた紙を運転手に見せると、運転手は何も言わずに車を出す。見ず知らずの他人との会話は苦手だ。セイは、タクシーの運転手が寡黙な人で、ひとまずほっとした。
タクシーに揺られて、30分。窓の外の景色は次第に家が少なくなり、あたりには広い田んぼが広がる。青々とした稲の苗が、風にゆられて緑の絨毯のようだった。
ふいにタクシーが止まる。
料金を払い、外に出て驚いた。
目の前には、大きな木の門。その両側に、どこまで続いてるのかわからない程の白い塗り壁が延びている。
「ここが、中立先生のご自宅ですよ。今は、奥方が一人で屋敷を守ってるって話だけど」
ユージの父、中立誠一郎は官房長官を務め、次期総理とまで目されていた人物だ。奥方とは、ユージの母のこと。
「あんな事件さえなけりゃ……」
酷く残念そうに、寡黙なタクシー運転手は呟いた。
中立家は地元の名士だったのだろう。運転手の声には、親しみと落胆の両方が滲んでいた。
「それで、中立先生の事務所はどこにあるか……」
「もうないんじゃないかなぁ」
「そ、そうですか……。あ、じゃあ、この人の事務所は」
紙に書かれた、もう一つの名前を見せる。それは、中立誠一郎と同じ政党で、誠一郎失脚後、地盤を受け継いだ議員だった。
「ああ、この先生なら。市の方に事務所がありますよ。行きますか?」
セイたちは再びタクシーに乗り込み、市部の方へと車を走らせた。



ユージの地元の町とは違ってこちらの駅前は随分と開けており、ショッピングセンターや映画館などの複合施設を中心に人の流れも多い。
その駅前通の一角に、目指す議員の事務所はあった。
事務所の前で、中の様子を伺いながら行ったりきたりモジモジしていると、そんなセイの様子を目に留めた受付の女性が、外に出てきた。
「はい。何か、御用ですか?」
「あ、あの……」
セイは、何度も詰まりながら、しどろもどろに何とか用件を伝える。
「中立誠一郎先生の、事務所をお知りになりたい……ということですね。ちょっと、こちらでおまちください」
女性に案内されて、事務所の応接ソファで待つことしばし。
奥から、一人の剥げた男が出てきた。彼は、せかせかと汗をハンカチで拭きながら、秘書だと告げると。
「迷惑なんだよ。どっから聞いてきたのか知らないけど、うちの先生と、中立さんとは何の関係もないんだから」
露骨に、嫌そうな表情を浮かべる。まるで、セイのことを、クレーマーか何かを見るような目つきで見ながら。
「あんな犯罪者どもと、かかわりがあるなんて思われちゃ、困るんだ。あの人たちも、迷惑なことをしてくれたもんだ、地元に泥を塗って。信用を回復させるのに、どんだけ苦労してきたことか。さぁ、もう用はないだろ。さっさと、帰ってくれ」
セイは、あっけにとられ一言も発することができぬまま、追い立てられるように事務所から出された。
ピシャッと、閉められたドアを見上げる。
自分がぞんざいに扱われたこと。一言も言い返せなかったこと。中立派についての手がかりを何一つ手に入れられなかったこと。そんな諸々の悔しさで、セイは唇を噛んだまま、しばらくその場に立ち尽くしていたが、やがて、とぼとぼと通りの方へと歩き出した。
通りへと出て、駅へと足を向ける。
そのとき、背後から呼び止められた声に気づき、セイは足をとめて振り返った。
「待ってくださいっ」
見ると、先ほど事務所で案内してくれた女性が、こちらへ駆け寄ってくるところだった。
彼女はセイに追いつくと、
「はぁはぁ……。先ほどは、ご無礼を。申し訳ありませんでした…」
「ああ、いえ、その……」
息を弾ませる彼女に、何と言っていいのか判らず、曖昧な返事で返すセイ。
「これ……」
女性はセイの手に、一枚の折った紙を握らせた。それを開いて、セイはもう一度女性を見る。その紙に書かれているのは、一つの住所だった。
「それが、中立先生の事務所のある場所です。今は、そこで仕事をなさっています」
「え、でも……」
「あのハゲ、最近事務所に入ってきた人なんです。だから、知らないんだ、中立先生たちのことを。だから、あんなことをっ」
女性は、いまいましげに吐き捨てた。
「昔から地元にいる人間は知っています。中立先生たちが、私利私欲で汚職なんかに走る人たちじゃないって。あの事件以来、マスコミなんかが押しかけてきて、表上、中立先生の事務所は閉めたことになっているんです。でも、本当は、秘書や後援会の方がまだ残って、先生たちのお帰りを待ってる。貴方は……悪い人じゃないように見えました。だから、お教えします。事務所の場所を」
そう、綺麗な笑顔で彼女は言うと、もう一度ぺこりと頭を下げて戻っていった。
彼女の姿が小さくなるまで背中を見ていたセイだったが、手の中にある紙に目を落として、ようやく自分の役割を果たせたことに、ほっと安堵と達成感からくる笑みをこぼした。
と、そのとき、誰かに肩をぽんと叩かれる。
驚いて振り返ってみると。
「イザ!」
「よぉ」
いつもと変わらない苦笑まじりの笑みを浮かべるイザがそこにいた。
「いつの間に……」
「いや、仕事が思ったより早く、カタがついてさ。心配だったんで、バイクで走ってきた」
後ろ手に示す先には、路肩に一台の中型バイクが置かれている。
「あれ、イザのバイク?」
「いや。途中で拝借してきた」
「それって、盗難……」
言いかけるセイの言葉を遮って、イザが言う。
「で? 成果は?」
セイは、手に持っていた紙をイザに手渡した。
「これ。中立先生の関係者がいる事務所だって」
セイの言葉に、イザは紙を開いて眺めながら軽く口笛を拭く。
「やったじゃん。ありがとう、セイ。おつかれさ……て、え…おい、どうしたんだよ」
「だ、だって……」
セイは、はらはらと相貌から涙を零して泣き出した。
緊張の連続で。疲労や、悔しい思いをしたことや、心細かったこと、安堵したこと……その諸々の感情が、イザに会ったことで一気に溢れてきてしまったのだ。
こんなに遠くまで一人で来たことも。こんなに沢山のことを一人でしたことも。全てが初めてだった。
しばらく、しゃくりあげるだけで泣き止まないセイを、イザは少し戸惑ったような顔しつつも、優しく頭を抱いて、背中を撫でてやるのだった。
「えらい。えらい。良くやったよ、お前は。ありがとうな」



中立誠一郎の事務所へは、セイとイザの二人で向かうことにした。
その事務所は、雑居ビルの地下にあるスナックが数件並ぶ程度の小さな飲食街、その一番奥にあった。事務所の入り口には、表札など何もかかってはいない。あらかじめ、教えられていなければ、絶対に気づかない場所だ。
ドアの前に立つと、まずイザがドアをノックする。
しばし待つが、何の反応もない。もう一度、ドアをノックしようと腕をあげたとき、かちりと小さな音がして、ドアが薄く開いた。
「はい……どのようなご用件でしょうか」
30前半と思しきスーツ姿の男が、薄く開いたドアから、こちらの様子を伺う。
「こちら、中立先生の事務所ですよね。東京から来ました。……雄治さんの紹介で」
一度、ドアが閉じられると。チェーンを外した後、大きくドアが開かれた。
「どうぞ、こちらへ。狭いところですみません」
男は、本庄と名乗る。二人は、入ってすぐの場所に置かれたソファに腰を下ろした。確かに中は狭い。ドアで仕切られた奥にも部屋はあるようだったが、ソファの周りにも、資料や本、ポスターなどが所狭しと積み上げられていた。
「ようこそ、おいでくださいました。よくここがわかりましたね」
トレーにのせてきた珈琲カップを各々の前におくと、本庄はイザとセイの向かいに座る。
「ああ、それは……彼が探してくれたんで」
珈琲に口をつけながら、イザがセイを軽く肘でつつきながら言う。セイは、照れたように少し笑った。
「お待ちしておりました。あなたが……イザさんですね」
イザは、頷く。
「雄治さんから、調べるよう指示があったのがコレです」
本庄は、イザの前へ一冊のレポートの束を置く。イザはそれを手に取り、ぱらぱらと捲りながら、本庄の話に耳を傾けた。
「全国民俗学研究委員会。気象庁管轄にあったこの部門は、全国各地に残る民間伝承や呪術などの研究をしていたようです。しかし、ある事をきっかけに、解散させられている」
「解散?」
本庄は、テーブルの上に置いた手を組んだまま、こくりと頷く。
「ええ。以前、もう何年も前ですが。ある刑務所で囚人が消えるという事件がありました。それに、どうやらこの委員会が関わっていたらしいのです。その事件以来、委員会は責任の所在もうやむやなまま解散、委員たちも散り散りになりました」
「事件をやらかすような何かをしていた、ってことか……」
「ええ。規模は小規模ですが……今回、テマで起こっていることと、どこか似ていると思いませんか?」
今度は、イザが頷く。
「あんたらも、テマで起こってることに気づいてはいたんだな」
「……ええ。私たちにも、色々な情報網がありますから。ただ、今の政権は私たちとは対立する派閥が多く占めている……いくら、暴走に気づいたところで、真正面から動くことは難しい」
「そ、か……。あんたらでも、止められないか」
失脚したとはいえ、かつては政権の中核を担っていた中立派、今も政治を裏で動かす影響力は計り知れない。しかし、元官房長官の中立誠一郎と、その息子の中立雄治が収監されている現在では、表立った動きはできないことも確かだ。
「はい。だから……貴方が、私たちにコンタクトをとってくださるのを待っていたんですよ。イザさん。貴方のいるところはアンダーグラウンドすぎて、私たちからは中々コンタクトが難しいから」
本庄の言葉に、イザは苦笑を浮かべる。
「……俺に期待されても、困るんだけど。俺、単なるチンピラだし」
「それでも。今回のことは、テマがターゲットだ」
「まぁね……できる限りのことはするさ。で? そっちの情報はそれだけ?」
いえ。と、本庄は一枚の写真を渡してきた。
そこには、貧相な表情の初老の男が移っている。
「雨宮亮一。元、全国民俗学研究委員会のメンバーの一人です。彼の所属した年代からして、例の刑務所の事件にも直接関わっている可能性の高い人物です。彼の居場所をつきとめました」
先ほど渡された資料をめくると、彼の所在に関するデータも入っていた。
「わかった。そいつに会えば、何か核心つくような話が聞けるかもな。せめて……神隠しを止める手段だけでも見つかれば」
「ええ」
話が終わり、立ち上がったイザに、最後に本庄は一言付け加えた。
「イザさん。きっかけが……きっかけが欲しいんです。何か、この件で、今の政権に揺さぶりをかけられるような何かが」
「揺さぶり、ね……。それを考えるのが、あんたらの仕事じゃねぇの?」
イザの言葉に、本庄は小さくため息をつき。
「そのとおりです」
呟いた。

 

 

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